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■13連載コラム 都市計画屋のつぶやき

 
 「都市計画屋のつぶやき」
               by 路人

□作者略歴
1961年 東京浅草生まれ
1979年 明治大学建築学科入学
1983年 同卒
1983年 明治大学大学院工学研究科博士前期課程入学
1985年 同修了
1985年 都市計画事務所入所
1998年 住宅・都市整備公団(都市基盤整備公団)出向
2000年 復職・現在に至る
職歴:駅周辺地区市街地整備基礎調査、防災まちづくり計画、都市景観基本計画、高齢型社会総合計画、不燃化促進計画、都市計画マスタープラン、市街地再開発事業基本計画・事業計画、防災生活圏促進事業、住宅市街地総合整備事業(密集型)、特定業務代行者選定業務(市街地再開発事業)、防災街区整備事業基本計画など担当
所属団体:(社)日本都市計画学会、NPO日本都市計画家協会、NPO粋なまちづくり倶楽部、全国路地のまち連絡協議会、NPOつげの会

(この項は、新しいものを上に掲載しています。)

□02 関東小さな旅「足利市~桐生市」その2 桐生編  


 足利から桐生へと向かう。30分ほどで桐生市内に到着し、大きな交差点のところに「栗まんじゅう」という幟が出ていたので、車を止めて妻が買いに行った。帰ってきてそのものをわたされて驚いた。暖かいのである。というよりは熱いのである。ほかほかなのだ。栗まんじゅうと言うから饅頭の中に栗が入っているものを想像していたのだが、栗の形をした鯛焼きのようなものだった。「これが栗饅頭?栗の入った饅頭だと思った」と文句をいったら妻から「鯛焼きには鯛が入っていないでしょ」と言われ、確かに、とそれ以上の抗議はできなかった。


写真 栗まんじゅう

 その栗饅頭屋の近くに、エキセントリックな眼鏡屋があったので、記録としてデジっておいた。
 店の表(アーケードの下の部分)は、入口とポップを除いてすべて眼鏡なのである!めがねをネットにかけてほぼ床から天井まで陳列しているのだ。すさまじい量のめがねが、折り重なるように展示してあり、この中からお気に入りの1本を見つけ出すには、相当の根気が必要である。


写真 この陳列密度は・・・

 ゴールデンウィーク中と言うことで、民宿など市中心部の宿が取れずJR桐生駅前のビジネスホテルに投宿した。食事はもちろんついていないので、地元の食堂か居酒屋でと思い、ホテルで配っているグルメマップとガイドブックを片手に家族を連れて中心街方面へ歩き始めた。歩いていくのは当然心置きなく酒を飲むためである。

 が、しかし、駅はまちの中心街から離れていたのである。6歳の子どもを連れて中心街までは遠かった。妻も不機嫌になってくる。これは、早々に店を決めて入らねばと思い、ガイドブックに書いてある名物桐生うどんの店と決めて、店にいってみる。

 店が開いてない!

 なぜだ?!定休日か?まだ開店時間には早いのか?ガイドブックを見る限りそんなことはない!もしかしてこれは、ゴールデンウィークのせいか!?どうも、衰退の激しい地方都市の中心街は、ゴールデンウィークに観光ガイドに載っている店でも休むようである!それほどまでに中心街の疲弊は激しいのかと、改めて認識させられた思いである。

 かくして、妻と子どもの冷たい視線を背に受けながら、しょうがなく駅前のナショナルチェーンの居酒屋に入り、旅行気分も何もない食事を済ますこととなった。


写真 ゴールデンウィーク夕方5時前の中心街

 明けて翌朝、桐生市の古い建物が残る本町周辺を散策する。
 昨夕で懲りたので、ホテルから車で本町界隈へいくが、駐車場が解らない。本町界隈のほぼ中央に「伝建まちなか交流館」があったので飛び込んでみる。中にいる人に駐車場の場所を聞いてまち歩きマップを物色していると、その人が「どうして桐生に来られました?」と聞くので、「足利のココファームに来たので、桐生も訪れた」と答えたところ、「そうですよねえ。桐生を目的には来ないですよねえ」と落胆気味のお答え。そんなに落ち込まなくてもと思ったが、妻子を待たせている身、話もソコソコに車へと戻った。

 なお、本町一・二丁目界隈にはこのほかに「寄合所しんまちさろん」(旧書上酒店)がある。前出の「伝建まちなか交流館」は、平成21年に「本町一、二丁目の周辺の地域を、重要伝統的建造物群保存地区にするために、重伝建選定に向けての相談窓口にするとともに、市と地域が一緒に活動する拠点」として開設し、後出の「寄合所しんまちさろん」は、平成14年に「本町一、二丁目地区のまちづくりを考えるための地元の拠点となるための施設」として、旧書上酒店の建物を復元して開設したそうである。


写真 伝建まちなか交流館

 この本町一・二丁目の玄関口に「有鄰館(ゆうりんかん)」という歴史的な煉瓦造りの倉庫を活用した多目的イベントスペースがある。ここは、旧矢野本店が酒・味噌・醤油を醸造し、保管していた江戸時代から昭和時代にかけての11棟の蔵などが舞台や展示、演劇コンサート、イベントなど多目的に活用されている。また、本町周辺の歴史的建造物や近代化遺産などのまちなみ保存の拠点にもなっているようだ。この日も地域のまちづくり団体が地産を展示販売していた。なお、「有鄰」とは、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」という故事から引用したそうである。
 ※詳しくは桐生市ホームページ参照

 また、この有隣館の南側の路地は、「酒屋小路」と名がついていて、土蔵の板壁と白壁が良い風情を醸しており、路地百選にも推薦されている。


写真 有鄰館(左がイベントスペースの有鄰館、右が物産販売の旧矢野本店店舗)


写真 有鄰館南側の「酒屋小路」(路地百選に推薦)

 桐生市は、織物産業が歴史的に盛んであり、江戸時代には桐生織として高級織物で京都・西陣とも並び称されたようである。今でも織物産業は衰退したとはいえ健在である。市内には、この織物工場である「のこぎり屋根」の建物が多く残っている。私が子どもの頃、工場と言えば「のこぎり屋根」に煙突であった。そのシルエットを描けばだれもが工場と言ったものであるが、これは屋根の北側に天窓を設けることによって均一な採光が得られることによるらしい。

 桐生市に残る「のこぎり屋根」の建物は、再生利用もされている。無鄰館(むりんかん)は旧北側織物工場をアーチストファクトリー(11区画)として活用している。また、旧金谷レース工業工場はベーカリーカフェに、旧住善織物工場は造形家の創作スタジオとして活用されている。ベーカリーカフェでは、のこぎり屋根の天窓から5月の陽光が差し込んで、清々しい空間となったいた。


写真 ベーカリーカフェ「ベーカリーレンガ」

 桐生市では、こうした近代都市資産も含めてまちづくりに取組んでいるようである。本町一・二丁目周辺の古い建物には「伝建まちづくり 伝統と創造 粋なまち 桐生」の大暖簾がかかっている。天然染色研究所には先ほどの暖簾と合わせて「歴史あるまちなみ 本一本二まちづくりの会」の大暖簾がかかっている。

 また、桐生商工会議所では「ファッションタウン桐生」を推進しているファッションタウンとは、全国各地で展開されていて、「地域にある産業の発展を図りつつ、その地域の歴史・文化・観光資源との融合及び消費地との直結による新しい経済活動創出を図り、新しいファッション情報発信基地、生活文化都市としての総合的なまちづくりにより、産業と地域の活性化を図ろうとするものである。そして、このファッションタウン構想を礎にして、まちづくりを進めていこうというものがファッションタウン運動である。」とのこと。そう言えばニット産業が盛んだった墨田区の本所地域でもファッションタウンを推進していた。同推進協議会では、「桐生新町織物産業史近代建築図」という歴史的建造物マップを作成している。表面には、本町通り周辺の反転白図に、平成16年に足利工業大学が実施した建物年代別調査結果と明治の商店・住居名を掲載しており、マップというよりはポスター的な仕上がりである。裏面には、桐生の広域地図にのこぎり屋根をアイコンとして工場等の位置を示し、桐生市の産業観光マップとしている。

 また、桐生には、群馬大学工学部同窓記念会館、西桐生駅、桐生織物記念館、桐生倶楽部などの和洋折衷建築が多く残されている。


写真 群馬大学工学部同窓記念会館


写真 桐生織物記念館


写真 西桐生駅


写真 桐生倶楽部

 こうしてみると、桐生には観光資源となる歴史的資産が多く残されている。また、まちづくりを進める主体もいくつかあるようである。先ほどの「伝建まちなか交流館」の職員の方(市の職員らしい) が落胆するほどのことではなく、これらの資産とマンパワーをマッチングさせて、プレゼンテーションを磨けば、桐生の観光を視点としたまちづくりを進めることができるのではないかと思う。 

 例えば、街なみ環境整備事業等を活用した本町通りの路面舗装の向上or歩行者優先化、本町通りに交差する路地の修景。あるいは、歴史資産をめぐるワンコインバスの運行。(現在「おりひめ」という一般的な路線バスが運行されているが、観光資源をめぐる中心市街地の循環バスはないと思う。)桐生うどん食い倒れ券(うどんの食べ比べができるクーポン)など、地の食文化の活用と活性化等が考えられる。

 また、群馬県では「富岡製糸場と絹産業遺産郡」を世界遺産として登録する活動を行っている。桐生市の織物産業関連施設もこの絹産業遺産群に含まれている。

 今度は、まちづくりを職能としている人間(それほどたいしたものではないが)として、もう少しゆっくり桐生のまちを歩いてみたいと思う。


(クリックすると拡大しますが、画像が大きいのでご注意下さい。)
 桐生うどんまっぷ

  桐生まちなか地図

  桐生本町一二丁目まち歩きマップ

  桐生産業観光マップ

  【都市計画屋のつぶやき03 おわり】




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□02 「田村明氏のまちづくり」シンポジウム  


 今年の1月「田村明先生逝く」の報に触れ、「まちづくりの一つの時代が逝ってしまったなあ」という思いがした。

 私は、田村先生に直接薫陶を受けたとか、仕事でご一緒したということはない。講演会やシンポジウムで、壇上の人とその他大勢の1人という関係が3~4回あるのみである。

 田村先生といえば、何と言っても横浜市の企画調整室長の時の業績であろう。異国情緒のある地方都市のイメージを大きく変えていく、様々な都市政策を実行していった。イセザキモール、関内馬車道通り、元町モール、ガス灯を模した街灯、開港広場、大通公園、中心街の首都高速の地中化。まさに今の横浜のまちを印象づけるまちづくりの端緒を開いた人ではないか。

 イセザキモールが完成したのが、昭和53年である。私が明治大学の建築学科に入学したのが昭和54年である。大学で建築を勉強する中、「横浜でまちがおしゃれになっている」と聞いて、友人達とちょっとした旅気分で取材に出かけた。それまで、商店街の道路と言えばアスファルトか四角いコンクリートの歩道用舗装材(学生紛争でデモ隊がはがして投げたことから、その後は歩道もほとんどがアスファルト舗装になった)、銀座と浅草メトロ通りの都電の敷石を転用した舗装程度しか見たことがなかった私たちに、イセサキモールのカラータイル舗装はまったくセンセーショナルなものであった。しかも、イセザキモールになる前は、どこにでもある銅色のアーケードかかった商店街で、私が小学生の頃に流行った青江美奈さんの歌った「伊勢佐木町ブルース」のご当地であったことに、2度びっくりであった。

 「こんなことができるんだ!」が率直な第一印象であった。



 写真 イセザキモール(2001年7月撮影)

 また、元町モールの1階部分の壁面後退に続く、路面のピンコロ石の舗装。私が高校生の頃は、友人と外人墓地など観光した後、1階部分の壁面後退が進みつつある元町を流しておしゃれな喫茶店でコーヒーを飲むという高校生が精一杯背伸びして歩いた。そんなまちが、1階部分を自主後退したことにより、ボンエルフの歩車共存型モールを手に入れたのである。それまであった元町のイメージを、ピンコロ石舗装によって更に高めたのである。

 このまちの取り組みは、今でも私の仕事の中で商店街の取り組みの先進事例として紹介する。「今更元町かい?私も好きだけどさ!」「う~ん、結局、協調による個別更新と公的支援が最大限に効果を上げている事例となると元町なんですよね」と、事例に使うと毎度担当者と交わされる会話である。結局その担当者も納得するのである。


 写真 元町モール(2001年7月撮影)

 大学生当時、横浜の商店街リニューアルのノウハウを知りたくて、バイト先の日本設計事務所(現日本設計)都市計画部で「商店街ミニ再開発マニュアル」を手に入れた時は、うれしくて青焼きを袋とじ、黒テープ製本にしたその冊子を端から端まで読み込んだものである。(実は、そのマニュアル3巻セットは私の手元にまだ残っている。ただし、青焼きではなく普通のコピーであるが)このマニュアルを見て、菊名に見学にもいった。


 写真 商店街ミニ再開発マニュアル3部作

 ある意味、この横浜のまちづくりが、私が現在の都市計画の道に進む大きなきっかけの一つであったと思う。今でも「横浜の街づくり PLAN FOR YOKOHAMA URBAN IMPROVEMENT BUREAU,THE CITY OF YOKOHAMA」と「港町 横浜の都市形成史 DEVELOPMENT PROCES OF PORT YOKOHAMA」は、街づくり構想図を作成する時のお手本として、私の書棚に鎮座している。まちづくりに夢のある時代だったといって良いのではないか。

 その田村先生のまちづくりについて語るシンポジウムが開催されるという。もし、田村先生やあの当時の横浜の取り組みに興味のある方は、参加してみてはいかがか。私も、時間が許せば参加したいと考えている。

以下、NPO法人まちづくり協会シンポジウムのお知らせの引用
**************************************************
 NPO法人まちづくり協会では、今年1月逝去された
 協会顧問、田村明先生に因んで
     『田村明さんのまちづくりを語る』
シンポジウムを開催します。

 参加希望者は、
  氏名、所属、メールアドレスを明記の上、下記事務局宛お申込み下さい。
    (NPO法人まちづくり協会事務局)  clc@d3.dion.ne.jp
      申込み締め切りは5月15日、参加は無料です。
   なお、参加申込者先着20名に、「田村明さんを偲び、お別れする会」
  参加者に贈呈された「記念冊子」等一式を、当日進呈いたします。

  ※ NPO法人まちづくり協会正会員は、申込みは不要です。
            別途、総会資料送付時に、ご回答下さい。

---シンポジウム鼎談 「田村明さんのまちづくりを語る」---

日時:   6月16日(水) 15:00~17:30

場所:   文京シビックセンター5階C会議室 ↓(定員72名)
        http://www.b-civichall.com/access/main.html
          東京都文京区春日1-16-21
      (その後、懇親会を予定しています(会費2000円程度)が、
          懇親会参加希望者はその旨もご連絡下さい)

テーマ:   鼎談 「田村明さんのまちづくりを語る」

  コーディネーター 
   ・井上正良さん (NPO法人まちづくり協会・副理事長)

  パネラー
   ・倉田直道さん (NPO法人まちづくり協会理事・工学院大学教授)

   ・国吉直行さん(横浜市都市整備局上席調査役)
            「田村明さんを偲び、お別れする会」実行委員長

 
  田村明さんのことは、ご存知の方も多いと思います。
 ・「まちづくりの元祖」、この分野でノーベル賞級受賞者である。
                     (全国市長会 『市政』3月号)
   等々、マスコミの追悼記事等で多くの賛辞を頂いております。

  NPO法人”まちづくり”協会の、”まちづくり”は、田村明先生の命名で
  田村先生の、”まちづくり”を継承する責任があると思っております。
   皆様のNPO法人まちづくり協会へのご入会、当シンポジウムの
  ご参加を心からお待ちしております。


■ 以下は、シンポジウムコーディネーターNPO法人まちづくり協会、
  井上副理事長からのコメントです。
   
  NPO法人まちづくり協会は、中心市街地活性化やタウン(エリア)マネージメント
 の実効性のある具体的な実践は、総合的なまちづくりでなくてはならないと
 考えております。
  これは、NPO法人発足の時に、顧問田村明さんから明確に指示して頂き、
 まちづくり協会の基本思想となっています。
  しかし、残念ながら、当協会の発足後も顧問として私達を叱咤激励して
 頂いて来た田村明さんが、去る1月25日、帰らぬ人となりました。
 
  しかしながら、NPO法人まちづくり協会は、今年度は、協会の法人設立総会時
 より、田村明さんから教示して頂いた「総合的なまちづくり」を、
 現在の困難な状況の中でどのように実践していくべきであるのかと言う、
 田村明さんから受け継いだ(託された)原点を掘り下げて、そこから再確認した
 理念や戦略を、協会の会員が共有し、全国で奮闘している当事者とともに
 実践し、支えていくことを目標とします。

   そして、6月16日のまちづくり協会通常総会後に、
 「田村明さんのまちづくりを語る」というシンポジウムを実施する事にしました。


「田村明さんのまちづくりを語る」は、
   田村明さんが、横浜市で総合的なまちづくりを実践していた時に共に働いた、
  横浜市の国吉直行さん、
   田村明さんが法政大学教授として、全国のまちづくりの当事者達に
  助言とエールを送っていた時代を知る工学院大学教授の倉田直道さん、
  (NPO法人まちづくり協会理事)、
   田村明さんがまちづくりの担い手となる個(市民)が知らなくてはならない、
  都市を構成して来た思想や社会・経済状況と人々の奮闘に付いて説いてきた
  「現代まちづくり塾」の塾生である井上正良さん(まちづくり協会副理事長)
  の鼎談の形で実施します。
                     以 上        

                         平成22年5月7日

  【都市計画屋のつぶやき02 おわり】




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□01 関東小さな旅「足利市~桐生市」その1 足利編

 ここ数年、関東近傍の小都市を見物して歩くことを重ねている。ゴールデンウィークに妻と子どもを連れて、足利の「COCO FARM & WINERY」に出かけた。ここのワインがうまいという情報を妻が仕入れ、渋滞に耐える運転手の私へのご褒美か、ワインを飲んで良いという。(もちろんワインを飲んだ後の運転は妻が担当)では、足利は以前に歩いたので、近くの桐生に行ってみようと言うことになり、足利・桐生の関東の小さな旅(NHKの番組の曲を流して欲しい)となった。

 「COCO FARM & WINERY」は、知的障害者更生施設「こころみ学園」の併設農園&ワイナリーである。1300CCのマイカーで足利市の田園地帯を走ったが、一度迷って違う道に入ってしまった。観光農園というものではないので、案内板が控えめなのである。施設の概要は、下記ホームページを参照して欲しい。
 ココ・ファーム・ワイナリーホームページ
 http://www.cocowine.com/

 坂道を上っていくと、急傾斜の山肌に濃い緑のなかに黄緑の三角形が、5月の陽光の中に見えてきた。ぶどう畑である。係員の誘導に任せて駐車場に滑り込む。知る人ぞ知る施設のようで、午前中にもかかわらず駐車場もだいぶ埋まっており、小さな施設に人がごった返している。


 写真 ぶどう畑

 施設は様々な物産を販売しており、ワイナリーと言うよりは小さな「道の駅」である。ワインやドライフルーツを物色した後、階下のワイナリーに下り、1,000円の飲み比べセット(6種類)を注文した。その内容は下表の通りである。それぞれの特徴を述べろと言われても、うまいかうまくないか(たぶん、それは好きか嫌いかだと思う)が解る程度の私には、もとより文学的な表現は不能なので、特徴の説明はワイナリーの説明を抜粋した。

名称

 

特徴

2008足利足利呱呱和飲

葡萄品種甲州種等から、低温発酵でじっくり丁寧につくった白ワイン。果実そのものの香りや甘さと、フルーティでフレッシュな親しみやすい味わいが、美味しいハーモニーを奏でる。

MV こころぜ

ロゼ

葡萄を守る葡萄畑のバラのような美しい薔薇色。 ラズベリーや野イチゴを感じさせる甘味と酸味の心地よいバランス。 どなたにも飲みやすい。

2009 農民ドライ

軽めでスッキリと飲める、日本の北国の葡萄からつくられた。鶏肉や魚、チーズなどの軽めの料理と合わせやすい。

2007 甲州F.O.S

淡くやわらかな白ワインとは正反対。可能な限り葡萄から香りと成分を抽出し、赤ワインをつくるように皮と共に発酵。他の白ワインとは違う、深い色、広がりのある複雑なアロマ、渋味がつくる口当たりの強さを有するワイン。

 2008農民ロッソ

カベルネ・ソーヴィニョンやメルロの果実味とストラクチャー、ノートンの引き締まるような酸、樽熟の甘い香り。果実味に溢れた赤ワイン。

2007 タナ・ノートン

ココファームのぶどう畑で採れたぶどうでつくった、濃い 色、芯、果実味、ストラクチャーを持ったワイン。中心部が漆黒となるほど深い紫色。プラム、ブラックベリーのような黒いフルーツの中に石、すみれ、スパイスの複雑な香り。口に含むと、リッチな深み、十分な果実味。そして、やわらかい渋味としなやかな酸味が長い余韻を誘う長期 熟成可能なフルボディの赤ワイン。



 写真 試飲セット


 普段は収穫したぶどうの搬入や成果品のワインを出荷するスペースと思われるところにスティールパイプのテーブルと椅子が並べてあり、その中の一つに腰を下ろしてワインを一つずつ飲み比べていった。ひとつを口に含んで味わっては水を飲み、一通り飲んでは、あれが良いかなと思ってそれを飲んでみると、他を飲んだ後では味が違って感じ、あれっ?と思って、また別のを飲んでみると・・・、結局、一つ一つのワインの味を表現するなど不能だと言うことに気がつき、ソムリエの道はないのだと痛感した次第である。

 ただ、私が好きだな、面白いなと思ったのは、とても癖がある白ワインであるが、「2007 甲州F.O.S」(写真右から3番目)である。白でありながら、皮ごと発酵させているので、オレンジ色のワインになっている。白と思って飲んでみると、赤のような香りと渋みがあり、ん?と最初は思わせるけれど、後味が引くというか、ついつい手が出てしまうそんなワインだった。味は読者自身にお任せするしかない。


 写真 5月の空と乾杯

 いずれにせよ、5月の良く晴れた昼前に、ぶどう畑を目の前にして飲むワインはこの上なく心を豊かにしてくれた。なぜ、我々は昼間に酒を飲むと「申し訳ないねえ」と言い心から解放されるのだろうか。難しいことは考えないことにして、運転からも開放された私は、2階のレストランへと足を向けた。

 レストランは丁度先ほどの利きワイン会場となっていた搬出入スペースの上がデッキになっていて、見晴らしの良い晴れた日には絶好のロケーションである。が、しかし、あまりメニューがないのと、旅の途中、ここでワインに溺れるわけにはいかないので、カレーセットというものを注文して早々に昼食を終わらせて、桐生に向けて出発した。(くどいようだが運転は妻に替わっている。)


 写真 デッキのレストラン

 桐生に行く前にとりあえず足利学校周辺をデジカメに納めておこうと(前回来た時はフィルムカメラであった。我が家や事務所に大量にあるネガとプリントをどうしたらよいものか。フィルムスキャンを自分でやるには時間がかかりすぎるし・・・業者に頼めば・・・)足利学校に立ち寄り足利学校の周囲を散策した。足利学校のまわりの区画道路は石畳で舗装されており、それなりの風情を出して、多くの観光客が散策していた。過去に太平記など大河ドラマで取り上げられたこともあり、日本で最初の学校というのは大きな観光資源だということが解る。足利学校の前では、市の職員が観光マップなどを配るとともに観光案内をしていた。


 写真 足利学校の人混み


 写真 足利市の出張観光案内所(足利学校前)


 写真 大谷石の建物

 足利学校の周辺を散策していると、高校生が「○×△、いかがですか~」とがなる声が聞こえてきた。足利工業高校と足利清風高校のチャレンジショップである。勉強とはいえ、ゴールデンウィークに御苦労さまである。妻は観光客があまり見向きをしないので、かわいそうになって和菓子を買って来たそうだ。


 写真 足利工業高校チャレンジショップ


 写真 蔵を利用した足利清風高校チャレンジショップ

 足利氏の邸宅跡(周囲に堀があり、日本の100名城になっているらしい。詳しくは日本城郭協会ホームページで。http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html)である鑁阿寺(ばんな寺)の前を流して、太平記館で観光マップ(最近は観光マップやまち歩きマップをできる限り仕入れるようにしている)と、義理土産を仕入れた。


 写真 鑁阿寺(ばんな寺) 中ではイベントをやっているようだ


 写真 鑁阿寺(ばんな寺)の堀

 太平記館の駐車場は入庫待ちの車が行列していた。私たちは、太平記館から徒歩1分程度のおそらく臨時の駐車場にすぐに入庫できたので、こんなものかと思っていたが、ちゃんとした施設では皆それなりの苦労をしていたので驚いた。この辺は、市の広報や誘導に問題ありか。

 足利学校を一回りして、アリバイ的写真を納めて、県道67号線を桐生へと向かった。
足利の中心街を走り抜けていくと、自分が足利学校のまわりしか歩いていないことに気付く。足利の中心街にはおもしろいファサードの建物がいくつか車窓から発見することができた。今回は写真に納めることはできなかったが、また次回訪れてまち歩きを楽しめたらと思う。

 この「都市計画屋のつぶやき」コラムでは、こうした、まちのちょっとした探訪記やまちづくり活動の取材を、まったく不定期かつ気まぐれにアップしていきたいと思う。また、内容も今回のような「ついで行動」が主体であるので、中途半端になってしまうことをお許しいただきたい。もし、面白そうだと思う方があれば、是非その現場を訪れて深めて欲しい。

 また、今回手に入れたまち歩きマップを併せてアップしておく。

(クリックすると拡大しますが、画像が大きいのでご注意下さい。また、パンフレットをスキャンしたものですので、一部に倒立ページがあります。ご了承下さい。)
  足利ぶらぶら街路図

  足利まちなか散策マップ

  足利まちなかウォーク

  【都市計画屋のつぶやき01  おわり】




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