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■11連載コラム 阿寒平太の世界雑記

 
 「阿寒 平太の世界雑記」
               by 阿寒 平太

□作者略歴
 つげの会13期生。鹿島建設東京支店勤務後、同社海外事業本部エジプト支店に11年間勤務し、帰国したのち退職。他の建設会社に2年間勤務後独立。現在、建設現場管理工学のコンサルタントとして、国内及び海外の建設工事関連のコンサルタント業務を行っている。「NPOつげの会」設立メンバー。
 世界を飛び回りながら、当ホームページのために原稿を発信。その幅広い活動範囲から、いくつかのコラムを投稿中のため、一部他メディアとの重複原稿となる場合あり。世界の建築・文化から、芸能や工芸、遊興、江戸までその興味は広く、このコーナーも満を持しての登場。乞うご期待。

※この項は、新しい投稿を上に掲載しています。※


阿寒 平太コラム34~ 世界雑記の29からはこちら ※このページです 
阿寒 平太コラム16~33 世界雑記の11からはこちら>>
 
阿寒 平太コラム~15 世界雑記の10まではこちら>> 

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□38 SEKAI雑記33
ヒティー(Hiti)と言うネパールの歴史建造物
 

ネパールのカトマンズ盆地にある首都カトマンズ、その南に隣接しているラリトプール、東にあるバクタプールは、ユネスコに登録されている世界遺産です。それぞれに王宮があり、王宮を中心とした古い時代の都市は、周辺の川の流れから50ⅿほどの高台に広がっています。

 為政者がまず一番に考えなければならない要素は、住民に対して如何に毎日の水を提供できるかです。これらの都市には、1500年前から今まで変わることなく使われているヒティーという水の供給施設があります。


画像:今でも生活の中で使われているヒティー

 建設時は400ものヒティーあったそうですが、今でも200以上のヒティーが市民の生活の中で使われています。その代表的な構造は、カトマンズ盆地の周辺の山から導いた地下水路網と、その地下水路網の高さに合わせて地面から数メートル下がった水の受け口からなっています。


画像:小さなヒティーは夏になると排水を止めて子供たちのプールに

 全くのフリーメンテではありませんが、ローマの水道と同じように泥や落ち葉などを除去するシステムがあるそうです。メンテナンスはその地域の住民が行っていますが、このヒティーや井戸は、今でも住民組織の基本単位になっています。

 日本で最初の水道施設は、徳川家康が、人々の居住には飲み水や生活水の確保が必要だと考え、1590年に小石川上水を作らせたのが最初です。それより1000年も前の作られた水道施設が今でも使われているという動態保存の現状も、ネパールのカトマンズ盆地の都市が世界遺産に選ばれた一つの理由なのです。


画像:ラリトプール王宮の中にある王様専用のヒティー

生活の中で使われているので街を歩いていると、ふとしたところに小さなヒティーがあって運が良ければ若い女性が水浴びしているシーンにぶつかることもあります。


画像:小さなヒティーで水浴びする若い女性

ネパールは、昔はローマに匹敵するくらいの文明国だったという、ネパールの凄いことを紹介させていただきました。




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□37 SEKAI雑記32
建物のムクロ
 

 連日、ウクライナの色々な都市の破壊された様子が報道される。そこには破壊された建物がこれでもかこれでもかと容赦なく映し出されています。

 同じような光景を昔、バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナでも見ました。チトー大統領が三つの宗教と三つの民族の融和を図り、宗教を超え民族の壁を乗り越えて、一つの国として様々な人が当たり前のように生活していた。それが、何かの小さなきっかけで、隣家同士の銃撃戦の中で、それぞれの家族が傷つき、次第にそれぞれの宗教、民族ごとに争い始め、大きな内戦に進んでいってしまった。

 このボスニア・ヘルツェゴビナで2年ほど仕事をしたとき『時の流れ』と『同化』と言うことを特に意識しました。この時は、内戦が終わってすでに9年ぐらいたっていましたが、いたるところに見捨てられた建物が建っていました。ただ、帰る家があっても隣人を信じることが出来ないため帰れないのです。


写真:ムクロ

 ウクライナが1991年にロシアから独立する以前、ソ連の民族融和政策によってお隣同士で住んでいたときもありました。しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって、大きく分類すると兄弟のような民族同士が信じられない状況になっています。ウクライナもボスニア・ヘルツェゴビナと同じように建物の残骸が累累と打ち捨てられているようになるかも知れません。

 それは自然の中に自然でない建物が生まれ、その意に反して生命を絶たれ、自然がその浄化作用で自分の傷口を治していく過程は人の時の流れの速さでは測れないほどゆっくり流れていくという実感を覚えました。何時になったらこの屍は自然に帰るのだろうか、人の時間では計れない時間が必要なのではないかと。

 建物がその生命を終わらせるとき、どのような儀式がふさわしいのか、全ての物に神仏が宿ると考えた昔はどうだったのか、知りたいものです。昔、井戸を埋めるときに儀式をしたのを覚えています。今は忘れ去られた解体の儀式、撤去の儀式があったのではないでしょうか。

 人間の生活がほかの動物のそれと同じように自然なものと考えると、コルビジェの考えのように人間が建てる建物も、蟻が作る蟻塚やビーバーが作るダムのように自然の一部とも考えらます。最近、人間が作る建物も単に部品が処理しやすいもの、再生しやすいものと言う考えから、建物そのものが自然に同化しやすい物、自然の浄化作用に適合する物が求められるようになってきています。漁礁や鳥の住処のように人間が住まなくなった時は他の動物が住むと言う考えもするかもしれません。ボスニア・ヘルツェゴビナでも人の住まなくなった家に沢山の鳩が住んでいるのを見かけました。

 自然も人間社会も異なるものをその体内に取り入れるとき、長い時間をかけてそれを異なっていないものに変えていきます。時にはそれを浄化といい、時にはそれを同化とも言い、長い時間を掛けながら確実に変化を進行させます。

 人間は、民族とか国とか社会とかと言う業を背負って生きています。人間がその業という異物を自然に同化していくためにはどのくらいの時間が必要なのでしょうか???




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□36 SEKAI雑記31
ベルゲンからロシア国境までの船旅
 

 井上先輩が「世界をウオッチングする16」でノルウェーのベルゲンの訪問記を書かれておられ、ベルゲンからロシア国境のキルケネスまで6泊7日の船旅をしたことを思い出しました。

 元々、この旅はオスロの市電を含めた交通システム調査が目的でしたが、その時に撮った実にうらやましい市電の写真です。両側の車道に挟まれた芝生の市電専用路。


写真:オスロの市電

 さて本題の船旅ですが、この船旅は、『世界で一番美しい航路を走る』と言われていますが、観光航路ではなく普通の商業航路です。食事の際のドレスコードなど煩わしいいことは一切なく、気楽な船旅ですが、その代わり船室はそれほど大きくないので、持ち込んだバッグ類は、預かってもらえます。

 ベルゲン(北緯60度23分)を出港した船は、ノルウェーの西海岸にそって無数にある小さな島の港に、それぞれ1時間から2時間ほど寄港しながら2400㎞の航路を北上します。寄港する時間帯は、航行時間によって夜中であったり昼間だったり様々です。

 この旅は、5月位の白夜のころでしたので、真夜中でも黄昏時ほどの明るさで、真夜中でも街歩きも出来ましたし、不思議なことに色々な店も開いていました。もう、温かな季節になっているはずでしたが、意外に寒く街でハンティングジャケットを買い、今でも愛用しています。


写真:船旅 航海図


写真:船 全景

 寄港の度に、船腹に開いた大きなスロープを下り上陸するのですが、そこに大きく出港時間が表示されており、それを目安に散策に出かけます。

 ぶらりと船から降りて町の喫茶店に寄り、のんびりとお茶を飲んだり買物をしたりしました。時には町の傍まで近寄ってきたトナカイを見ることもありました。

 ところで船旅では、食事は料金に含まれています。ビュッフェ形式の食事ですが、その内容は実に様々で素晴らしく美味しく食事時間は一つの楽しみでした。

 また、途中で船に積んであるランチ(小型モーターボート)で、フィーヨルド見学のオプションツアーもあり楽しみました。


写真:ランチ船上の友人

 途中の小さな港では、船が横づけ出来ないので、このランチが使われますが、これは船旅で友達になった人との別れのシーンです。

 さて、この旅でのハイライトは、北緯66度33分を超えて北極圏に入るときに行われる船上での「北極祭り」です。ノルウェー神話の神様の仮面の人が、乗客の背中に氷水を注ぎ込むという単純なものですが、これで一挙に乗客同士が近しくなるような感じでした。


写真:背中に氷水を注ぎ込まれる私

 出港して7日目の朝に、ロシア国境まですぐというキルケネス(北緯69度43分37秒) に到着します。ロシア国境に行っても単に2m程度の金網のフェンスがあるくらいで、周りは雑草の野原という状態でした。

 此処からオスロまでは飛行機で戻りましたが、実にのんびりした時間を楽しんだ船旅でした。

 船旅には、その航路によって4種類の船旅があります。
1. 一つの国の中の河や運河をめぐる船旅(ナイルクルーズ、黄河クルーズ、イギリス国内の船旅など)
2. 幾つかの河や運河をめぐる船旅(一番長いものは、セーヌ川から黒海までの船旅)
3. 一つの国の周りを巡る船旅(このノルウェー沿岸航路、日本沿岸の船旅など)
4. 幾つかの国をめぐる船旅(世界一周航路、大西洋沿岸航路、地中海航路など)

 別の機会にこの船旅についても、拙文をご拝読頂きたいと思っております。



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□35 SEKAI雑記30 特別編
コロナ防疫体制と隔離施設の実体験報告
 

現在、ワクチン接種が連日ニュースになっていますが今回は、あまり話題にならない海外に対する防疫体制について、私の経験をもとにお話しします。

 私は今、バングラデシュで地下鉄の設計のお手伝いをしておりますが、ワクチン接種の為、一時帰国いたしました。現在、日本政府はインド型コロナの蔓延地域からの飛行機の乗り入れを禁じており、東南アジアから直接、日本に入るフライトはありません。

 そのため今回の帰国は、バングラデシュから、まず中東のカタールに5時間かけて西に飛び、そこから日本に10時間かけて東に飛ぶという、大回りルートで帰国しました。

 成田到着後、4段階の検査があります。まず、出発前48時間以内のPCR検査結果報告書のチェック、その次は健康チェックシートなどの事前に作成した書類審査、次は各人のスマホにダウンロードした4種類の指定アプリを実際に立ち上げるまでのチェック、次に唾液による抗体検査或いはPCR検査が行われます。

 夜間にもかかわらずそれぞれの検査会場では、30人以上の若い女性たちが生き生きと働いており、コロナが生み出した新しい職場という感じです。さて、この検査で陰性と判定され、それから入国審査、通関で入国となりましたが、ここまで飛行機を降りてから3時間近くかかりました。

 国によって隔離期間が決められており、バングラデシュは10日間隔離対象国で、空港からバスで、隔離施設成田東横インに運ばれました。

 ホテルのロビーで、入所の注意・説明書と体温計が渡されましたが、書類には一切、チェックイン、チェックアウトという言葉はなく、入所、退所という言葉でした。3食と宿泊代はただ、しかし収容所なのだということをはっきりと認識した瞬間です。

 部屋は、20m2以下の狭いシングルベッド室で、ベッド脇にデスクと大きな液晶TVがついています。衣類収納棚はなく、壁に衣類が掛けられるようになっています。



写真:収容所室内のデスク写真

 食事は、毎食弁当で、8時、11時、4時に「これから食事を配る。配り終わった時に知らせるので、それまで扉は明けるな。(勿論、もう少し丁寧な言葉で)」というアナウンスがあり、1時間後位に扉の外のドアノブにビニール袋に入った弁当が掛けられます。

 ベッドメーキングはなし、自分で全てしなくてはなりません。浴室タオルの取り換えも電話で頼むと、ビニール袋に入れてドアノブにかけてくれます。

 買物はこのホテルの1階にコンビニがあり、午前、午後共に2時間ぐらい開店し、その時間帯にコールセンターに買物を依頼すると、代金を入れるビニール袋がマグネットで張り付けられ、それにお金を入れて張り付けると、品物、お釣り、レシートを入れたビニール袋がドアノブにかけられます。

 このコールセンターというのは、このホテルとは全く異なる組織で、この収容所の管理を厚労省から委託されている組織のようで、全く素人的&お役人的。ノンアルコールビールを頼んだら、ビールという名称がついているのでダメと言われてしまいました。ある日、「滞在者が千人を超えているので弁当の配布に時間がかかり遅くなる。」との放送がありました。普通でしたら、こんな言い訳じみた放送は、ホテルの印象を悪くするので一切ないでしょう。

 収容所に入って3,6,10日目に唾で行うPCR検査があり、検体配布もドア越しにされ、検体提出の際は全身防護服に身を固めた検査官が名前を確認しながら受け取っていきます。部屋の扉の内側には唾が出やすいように、梅干しとレモンの写真が貼ってあります。



写真:扉に貼ってある梅干しとレモンの写真

 この収容所内では、一切禁酒です。収容者はコロナ感染被疑者の危険人物ですから、他の人が入室する事は一切ありません。今回の帰国便の乗り換え地であるドーハ空港では、コロナどこ吹く風で、色々ないい酒がすべて無税で買えます。そこで酒類を購入し、荷物に入れてこの収容所まで持ってきても、入所時の荷物検査はありませんので、身近に酒類を持った人たちは、禁酒への強い意志を試されることになります。

 この収容所が、刑務所と異なる点は、労働時間も運動時間もないことです、私の滞在中の1日の平均歩数は300歩程度でした。兎に角、椅子に座ると全てが手の届く範囲にあり、歩く必要がないのです。正に非歩行による人間の足の退化実験です。

 私は、幸いなことに急ぎの仕事があり、大きな液晶TVをPCモニターとして使い、毎日この良い環境で仕事が出来、いい時間を過ごせましたが、急ぎの仕事も酒もない日々を過ごさなくてはならない人にはつらい留置生活だろうと思います。

 こうして私は、長いお務めを終え、出所しました。



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□34 SEKAI雑記29 特別編
昆虫食の昆虫捕獲方法
 

この阿寒平太の世界雑記では現在、ネパール編を書いていますが、先ごろミャンマーに行った時に実に興味深い昆虫食用の昆虫の捕獲方法を見ましたので、ネパール編を中断し、忘れないうちに皆様にご報告します。

 昆虫食と聞くと、眉を顰(ひそ)める方もおられるのではないかと思いますがしかし、この稿は、昆虫食の味や調理についての報告ではありません。皆さんも常日頃からお世話になっているCookpadにも「イナゴの生姜入り佃煮」「イナゴ入りピーナッツ・バー」「炒め蜂の子」などのレシピが並んでいるように、日本にも昆虫食はあります。

 昔から昆虫は身近なたんぱく源でした。最近流行りの自然食材を売りの六本木にあるレストランでは、前菜として「へぼ」呼ばれる蜂の子の甘露煮が出てくるそうです。

 タイでは、ゴキブリのフライ(あの姿そのままです!!)や赤蟻の卵(スープやオムレツ、サラダに使うそうです。)、アフリカやオーストラリアでは蛾の幼虫を食べるそうです。
これ以外にタガメ(水中を泳ぎ回っているアレです。タイ国)、サソリ(中国)、蛾の幼虫(アフリカ諸国)など多士済々。


写真:森の中に点在する木造の家

 さて、先日ミャンマーに行った時のことです。宿舎に入ると居間や寝室に興梠(コウロギ)がうようよ。浴室に入るとそこでもうようよ。踏み潰さないように注意しながら、ベッドにたどり着き早速、殺虫剤をシュー。何とか通路を確保。

 翌日の朝の散歩のとき、森の中に点在する木造の家の前にビニールのシートがかかっていました。コテージのような小屋が点在し、その家の周りには同じようにいくつものビニールが竹で組んだ高さ3ⅿ位の枠から垂れ下がっていました。


写真:謎のビニールシート

 多分、夜の暑さしのぎに外で寝るときの夜露除けかなと思って、その話をミャンマー通の同僚に話すと虫取り装置との事。

 翌朝、観察するとちゃんと虫を集めるための照明装置があり、ビニールのシートの底は袋状になっており捕獲した虫が逃げられないようになっていました。


写真:ビニールシートの底

 村の中の朝市に行くと、売っていました、興梠の佃煮や生きているそのままのものも。宿舎の部屋は、たんぱく質がうようよだったんですね、もったいないことしたかな??


写真:売っていました

 ビニールという透明で滑りやすく且つ、安価な材料を使った実に単純にして、機能的な素晴らしい捕獲装置。誰が考えたのですかね?? しかし、興梠だけではなく他の虫も入ると思いますが、どうやって分別するのだろうか?

 思っている以上に高度な技術で、興梠だけが集まる波長のランプや底の袋の深さを興梠の飛翔高さ以上にしたり・・・・・。Myanmarだからなぁ~??





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