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■13連載コラム 都市計画屋のつぶやき

 
 「怪しい?街なか探検記」
               by 路人
 他のページでつぶやいている都市計画屋さんの「路人」さんが、新しいコーナーを書き始めました!このコラムは、筆者がNPO日本都市計画家協会街なか研究会や全国路地のまち連絡協議会のイベントに参加した、個人的な感想をまとめたものです。乞うご期待!


□作者略歴
1961年 東京浅草生まれ
1979年 明治大学建築学科入学
1983年 同卒
1983年 明治大学大学院工学研究科博士前期課程入学
1985年 同修了
1985年 都市計画事務所入所
1998年 住宅・都市整備公団(都市基盤整備公団)出向
2000年 復職・現在に至る
職歴:駅周辺地区市街地整備基礎調査、防災まちづくり計画、都市景観基本計画、高齢型社会総合計画、不燃化促進計画、都市計画マスタープラン、市街地再開発事業基本計画・事業計画、防災生活圏促進事業、住宅市街地総合整備事業(密集型)、特定業務代行者選定業務(市街地再開発事業)、防災街区整備事業基本計画など担当
所属団体:(社)日本都市計画学会、NPO日本都市計画家協会、NPO粋なまちづくり倶楽部、全国路地のまち連絡協議会、NPOつげの会

(この項は、新しいものを上に掲載しています。)

□06 江東内水河川舟運社会実験に試乗6  

 辺りはだいぶ暗くなってきた。やはりこの時期としてはスタート時間に問題があったか。

 夕闇深まる法恩寺に到着する。墨田区内では数少ない塔頭のある寺院で、塔頭の並ぶ参道に並木がきれいである。その山門の後にはスカイツリーが屹立している。この法恩寺は、家康開府以前の江戸を築いた太田道灌の墓がある。最近は、様々な「萌え」があるようで「墓マイラー」という種族もいて、スカイツリーと合せてここも賑わうか?

 続いて、「すみだ工房ショップ」の一つ「アトリエ創藝館」を訪れる。ホームページでは11:00~19:00の営業時間となっているが、17:20で既に店は閉まっているようだ。窓から工房がのぞける。この窓はショーウィンドーを兼ねていて、提灯やストラップに値段がついていた。40㎝くらいの弓張り提灯で8,500円~12,000円となっており、結構するものだと思う。


写真  法恩寺参道


写真 アトリエ創藝館工房


写真 アトリエ創藝館外観

 ツアーは、春日通りを通り、最終目標の「すみだもの処」に向かう。沿道のレトロな床屋を除くと、室内の壁のあちこちにマリリンモンローの写真が掲示してあった。後日、店の名前を確認しようとしたが、どうも、もう廃業しているらしい。


写真  マリリン床屋


写真  外から見えるマリリン・モンロー

 王貞治氏の卒業高である業平小学校の前では、ツアーガイドの随伴者が王貞治氏の同級生ということで、小学生時代の王氏は、勉強はできたが、運動ではあまり目立っていなかったなどという話を聞く。

 さて、ツアーもいよいよ終点を迎えた。「すみだもの処」に到着である。ここは、墨田区が2010年8月に「すみだモダン」認証商品をはじめとする区内産品を購入出来る施設として設置し、東京スカイツリー商業街区内に設置予定の(仮称)観光プラザの先行施設であり、来街者に買ってもらえる商品開発の促進、東京スカイツリー開業前からの墨田区の広報、区内事業者に、どんなものが売れるのか、直接消費者に売るとはどういうことか経験を積んでもらうトライアルの場と位置づけられている。

 ツアー事務局が、エコバッグに墨田区及び江東区の観光マップや逸品リストなどを入れて配布していた。


写真  「すみだもの処」内部


写真  「すみだもの処」外観

 さて、今回の舟運観光まち歩きツアーであるが、最近国で推進している広域観光の地域版と言ったところか。特に東京は地域的に連続しており、今回の墨田・江東に限らず谷根千のように台東・文京など広域的な観光推進が望ましい場所も多いと考える。

 今回のツアーは社会実験としての試みであるが、江東区内のツアーが場所柄から松尾芭蕉中心のツアーとなって、片や墨田区のツアーは物産に偏ったものであった。江東区内は芭蕉ばかりでおもしろくないという参加者もいたが、テーマ性を持ってもいいと思う。しかし、その場合、参加者はそのテーマを求めてくると考えられ、江東区と墨田区でまったく質の違うツアーだと、集客が難しいのではないか。何らかの関連を持って、いくつかのテーマを持ったツアーを用意することが必要であると考える。

 また、江東区内では、やはり飲食・土産系を1~2か所組み込むことが必要ではないかと思う。まちを歩けば、腹も減るし喉も渇くのは当然である。また、近所や勤務先への土産も重要であり、その消費が地域の経済を支えていくのだから。これに対して、墨田区のツアーは各ポイント間が遠く、ツアー後半だったことも加えて、少々間延びがして疲れた気がする。それぞれもう一工夫必要だと思う。

 最後に、この企画についてのアンケートに記入したが、このツアーがいくらだと妥当かという問に対して、2,000円くらいかなと思ったが1,500円と記入した。実態的には、2,000円だと思うが、満足度として1,500円と判断した。今回のツアーガイドが墨田・江東ともにボランティアであることを考えると、実際に商業ベースでやっていくためには、3,000~3,500円程度になってしまうのではないか。

 また、実用化に向けては、観光ガイドの資質向上が大きな課題となってくると考える。基本的には、一定以上のノウハウの取得が望まれるが、ボランティアベースではなかなか難しいのではないか。商業ベースとなれば、いわゆるカリスマガイドなるものが育つことも考えられる。今回の船上ガイド氏は、知識も豊富で、話し方も立て板に水であった。このガイド氏並みの技術を持った方が、ボランティアベースで育って行くことはなかなか難しいかもしれない。

 いずれにしても、今回の試みは今後の都市観光を拡げていく上で、有意義な社会実験だったのではないか。今後の実用化に向けての取組みに期待したい。

 さて前回は、吾妻橋近辺のモツ焼屋に沈んだが、今回はスカイツリー周辺ガイドマップももらったことだし、身体も冷えたのでスカイツリーの足下の居酒屋で熱燗でも飲むことにしよう。


写真  最後に配られたエコバッグとその中身

 【怪しい?街なか探検記06おわり  つづく】
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□05 江東内水河川舟運社会実験に試乗5  

 さて、のんびりした船旅もいよいよ終わりに近づいてきた。亀戸の乗船場が間近である。亀戸の対岸、錦糸町の墨東病院の前で別の遊覧船とすれ違う。こちらはモダンなデザインの遊覧船で、乗務員も客船の乗務員のようなユニホームを着ている。貸し切りのツアー船で越中島や天王洲から出ているようである。我々は、全員ライフジャケットを着ているが、双胴船のあちらはライフジャケットの着用義務はないようである。この日は、3時ころから冷えてきたので、ライフジャケットは我々の身体が冷えるのを防いでくれていたが、すれ違う遊覧船の乗客は一様に寒そうにし、こちらに手を振ってくれている。一見屋根がないようであるが、扇橋閘門の通過時は傘でもさすのだろうか。

 乗船場で下船?し、今度は墨田区内のまち歩きツアーに向かう。我々を乗せてきた江戸前汽船の平船は早々に帰っていく。16:30に扇橋閘門がしまってしまうからである。ちなみに、高橋と亀戸の乗船場は過去に水上バスが運行していたが、営業不振により取りやめとなっていた。


写真  右端が船のガイド氏


写真  そくささと帰る江戸前汽船の平船

 墨田区内ツアーのスタートである。亀戸の乗船場出発して、錦糸堀公園に向かう。ここは本所七不思議の一つで、昔この一帯は淋しい堀割で魚が良く釣れたのだけれど、あるとき釣り人が帰ろうとすると、堀の中から「おいてけ~、おいてけ~」と言う声が聞こえてきた。釣り人はびっくりして魚を放り出して帰ったということが何回もあり、「おいてけ堀」と呼ばれるようになったとのこと。その声は河童ではないかと言われており、その記憶を残そうと有志が河童の像を立てたそうである。


写真  乗船場より墨田区観光ボランティアガイドについてまち歩きスタート


写真  錦糸堀公園の河童の像

 ツアーは夕暮れの錦糸町駅に向かう。11月末のこの時期は日が暮れるのが早い。錦糸町駅前では人形焼きの山田屋を拝見。ここの人形焼きは餡無しでもうまいが、餡入りはさっぱりした餡がぎっしり入っていてうまい。値段もリーズナブルでおやつに最適である。

 駅を北側に抜けて、オリナスの手前を東に折れると乳糖製菓である。ここは、バウムクーヘンが最近ブレイクしている。墨田区内のツアーになっていきなり食べ物が続いた。こういったものを食べ歩くのもまち歩きツアーの楽しみであろう。願わくは、椅子とお茶の用意があるといいのであるが・・・。先ほどの山田家では買わなかったツアー客が、ここでは幾人もバウムクーヘンを購入している。どういうことなのだろう。人形焼きでは、スカイツリーを愛でるツアーにイメージが合わないのだろうか?


写真  人形焼きの山田家


写真 バウムクーヘンの乳糖製菓


写真 夕暮れの錦糸町(京葉道路・国道14号)


写真  クリスマスデコレーションの錦糸町オリナス

 続いて、江戸切子館に向かう。かつて墨田区はガラス産業が盛んであった。佐々木クリスタルやタキナミガラスなど大きなガラス工場があって、タキナミガラスなど工場変節の見学できる工房ショップを備え、はとバスなどの観光バスも訪れていたが、廃業や移転をしてしまった。ここの切子館では、自作の切子体験ができる。また、「すみだ界隈 街あるき 案内処」となっており、区内各所の案内チラシなどがおいてある。ショーウィンドーにはしっかり切子のスカイツリーが展示してあった。


写真 江戸切子館(奥では自作切子に挑戦中)


写真  切子のスカイツリー

 江戸切子館を出て、蔵前橋通りを西へ向かう。しばらくして、ほぼスカイツリーにまっすぐ向かう道に出る。眼前に巨大になったスカイツリーの勇姿が迫る。

 カメラの調子が悪く、シャッターが押せない。また、正面からやってきた車がヘッドライトをハイビームにして、写真撮影を妨害する。しようがないので、昼間の同位置からの画像をどうぞ。

 この通りを、某観光協会の某事務局長は、スカイツリー通りと命名しようと画策している。


写真  スカイツリー通り?

 【怪しい?街なか探検記05おわり  つづく】
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□04 江東内水河川舟運社会実験に試乗4  

 水位調節の時間は2分程度、前扉と後扉の開閉を含めて通過にかかる時間は10分程度だったかと思う。さて閘門の後扉を抜けるが、この時船の幌屋根を後扉から落ちる大量の水がたたく。くだんのガイド氏はにやりとし、屋根が必要なわけがわかったでしょうとアナウンスする。観光舟運としては、日曜・休日に閘門が通過できないことが痛い。


写真 隅田川側の水位の線がくっきり見える
隅田川川の水位がA.P.+1.5m
水位低下河川側がA.P.-0.7m


写真 水位が下がりきり、後扉が上がりはじめる


写真 後扉を通過、後扉の向こうに夕日が沈む


写真 【参考】荒川ロックゲート

 閘門を通過して、右側に金属製のサイロが見えてくる。東京製粉の工場である。ガイド氏によると小名木川で舟運を活用している工場はここだけだそうである。

 再び運河の十字路にさしかかる。横十間川との交差点である。この交差点には四つの角を結ぶ十字の橋が架けられており、名前はクローバー橋である。


写真 クローバー橋


写真 江戸間前汽船の船頭さんの向こうにサイロ

 小名木川から横十間川に入り、しばらく行くと左側に森とボードウォークが見える。森は猿江恩賜公園で、その気の向こうにスカイツリーが見えている。ボードウォークを歩く人がじっと我々を見ているので、くだんのガイド氏が「次はこの船に乗ってくださいね」と声をかける。声をかけられた本人は、何を言われているのかわからないようである。

 前に、首都高速7号線が見えてくる。首都高7号線は竪川の上を走っている。本来ならここも運河の十字路になるはずであるが、竪川は大横川と同様に大横川~旧中川間が埋め立てられ高速道路下の公園や広場など多目的なスペースになっている。一時期は私もこの空間をジョギングしたことがある。雨が降らなくていいのであるが、暗い空間なので、そう楽しい空間とは言えない。埋めた建てられた地下には暗渠があるようだが、自然河川のように水が流れているわけでもないので、たぶん大雨が降った時の排水路なのではないか。

 首都高速7号線をくぐると左側に墨田区の艇庫が見えてくる。土曜日などにこの横十間川でボートの練習風景に出会うことができる。


写真 猿江恩賜公園の緑とボードウォーク


写真 首都高速7号線と埋め立てられた竪川


写真 竪川の暗渠


写真 墨田区の艇庫


写真 モダンな遊覧船


写真 【参考】ボート練習の様子

 【怪しい?街なか探検記04おわり  つづく】
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□03 江東内水河川舟運社会実験に試乗3 

いずれにしても、今は富士山も隠れ、ビル群に埋没した清洲橋が見えるばかりである。
なお、小名木川は、江戸期の塩の道で、行徳の塩田の塩や北国からの物資の輸送ルート(銚子→利根川→江戸川→新川(船堀川)→小名木川)であった。


写真 萬年橋


写真 ケルンの眺め?清洲橋を見る

萬年橋のたもとに特徴のある建物が建っている。看板を見ると「昭文社」とあったので、(まち歩きや旅行の時に)「いつもお世話になっています」と思いつつ、ご一行の後についていく。萬年橋から東に見える水門は新小名木川水門で、高潮や津波から流域を護るために設置してある。


写真 昭文社制作部


写真 新小名木川水門

小名木川の堤防の内側は緑道テラスとなっている。その緑道を掃いている住民とおぼしき女性が、我々のツアーの事務局を務める江東区の職員が法被を着ているのを見て、「船の方ですか?」。どうも船頭と勘違いされたようだ。当の区役所職員も舟運観光社会実験中であるから「はい」と答えていた。この辺の勘違いの会話はおもしろい。
江東区側のツアーは、芭蕉にちなむ場所が多かった。食べ物とかお土産が買えるようなところが入るといいのではないか。


写真 小名木川緑道テラス


写真 小名木川:新小名木川水門より東を見る


写真 小名木川:高橋

高橋(たかばし)の下をくぐって高橋の乗船場に至る。この高橋も江戸期は、萬年橋と同様に小名木川の舟運のために非常に高い太鼓橋であり、そのため、高橋と命名された。陸上交通が発達し、船の動力も風に頼らない現在では、比較的平らな橋で済む。しかし、周辺は高度成長期の工場による地下水の水溶性天然ガスの利用により地盤沈下が進み、河川上では橋は平らであるが、取付け部分は急な勾配となっている。なお、水溶性の天然ガスというのは、地下の圧力によって地下水の中に閉じ込められた、都市ガスと同じ成分のメタンガスである。埼玉県南部から東京都東部、千葉県九十九里浜にかけて南関東ガス田となっているらしい。
高橋乗船場から江戸前汽船の平船に乗船する。ここで江東区観光ボランティアガイドと江東区職員とはお別れである。高橋以東の小名木川には、親水テラス部分はなく護岸の外側に区の木「黒松」が植えられている。


写真 高橋乗船場と今回の平船


写真 ゆりかもめと沿岸の黒松並木

平船には、平たい幌がついている。船上ガイド(こちらもボランティアガイドか?)が言うには、しばらく乗っていると必要性がわかるとのこと。西深川橋をくぐる。前回の隅田川の水上バスでも報告したが、橋の下を通過する時はスピード感と橋の構造が見られておもしろい。


写真 西深川橋の下部

新高橋が近づいてくると、「船の両側にお座りの人は舷側に手を出さないでください。」とのアナウンスが入り、船の平たい幌が下がってくる。幌を支える4本の支柱が平行四辺形になって、幌を下げるのである。新高橋は名前と違ってかなり低い橋である。幌が下がって来ると、なぜか乗船客も首をすくめる。松江の堀川巡りの船も同じようなシステムで、こちらは船客が姿勢を下げないと、頭が天井につかえてしまう。


写真 斜めになった支柱


写真 通常の幌の状態


写真 下がった幌の状態

しばらくして、大横川との交点、運河の十字路にやってくる。この交差点には、舟運が盛んな頃に必要だった常夜灯が復元?されている。大横川は錦糸町の西を抜けて業平橋に至る河川で、ロケーションからもスカイツリーを見ながら水路巡りをするには最適であるが、現在は錦糸町以北が埋め立てられ大横川親水公園として整備されている。ちなみに、江東区・墨田区内の河川には大横川、横十間川、竪川という河川があるが、これは江戸城に向けてまっすぐ向かうが縦、その90度方向が横となっている。


写真 運河の十字路からスカイツリーを見る


写真 河岸の常夜灯

大横川との十字路を過ぎ、いよいよ内水河川舟運のクライマックス「扇橋閘門」がやってきた。閘門とは水位の違う河川間を船が通行できるようにする装置である。言ってみれば超ミニミニパナマ運河というところか。実際、東京都では日本のパナマ運河と称しているが、ちょっと言い過ぎのような気がする。この閘門は、前扉と後扉の二つの水門に囲まれた部分に船を入れて、水位をそれぞれの水位に合せて通行させるものである。この時の水位差は、隅田川側がA.P.(Arakawa peilの略で、荒川工事基準面:中央区新川にある霊岸島水位観測所の最低水位=東京湾大潮時の干潮位。peilはオランダ語で「水準線」あるいは「基準」などを意味する。)+1.45m程度、水位低下河川側がA.P.-0.75m程度で、約2.2mであった。以外と高いのに驚いた。なお、「この時の」としたのは、隅田川の小名木川辺りは、言ってみれば江戸時代の埋め立て地であり、ほぼ海と同じ水位で海面の潮位で上下するためである。なお、扇橋閘門周辺の地盤面はA.P.+0.9mである。
この閘門を通過するのに通行料は取られないそうで、通行時間は平日土曜日の8:45~16:30で、日曜・祝日は閉鎖されている。
しかし、閘門というシステムがなかった江戸時代はどうしていたのか?実は、荒川と中川(現旧中川???ややこしい名前になってしまった。江戸期には現荒川(旧荒川放水路)はなく隅田川から中川へは小名木川が、中川から江戸川(現旧江戸川)へは新川(旧船堀川)が通じていた)には水位差がなかったと思われる。では、なぜ閘門が必要になったのか。それは、先ほど解説した江東デルタ地帯における地盤沈下である。この地盤沈下による水害を軽減するために、この地域の内水河川の水位を下げているのである。これらの河川を内水位低下河川といい、大雨が発生した時はこれらの河川を調整池として利用することになっている。なお、小名木川の東側の出口は、旧中川に接続し、その端部は荒川ロックゲート(閘門)になっている。


写真 開いた前扉と閉じた後扉が見える


写真 前扉が閉まり水位が下がりはじめる



 【怪しい?街なか探検記03おわり  つづく】
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□02 江東内水河川舟運社会実験に試乗

 前回に引き続いて、墨田区と江東区が東京スカイツリーの完成を是非とも観光の起爆剤にしたいぞと、今度は隅田川や荒川という大河川に囲まれた中の内水河川(おおざっぱに言えば江戸時代からの運河か)を観光資源として使えないかという実験を再び行った。

 今回の実験の特徴(私が感じたところ)は、江東区と墨田区の連係プレーによるまちあるき観光と舟運観光を抱き合わせたことであろう。また、いずれの区のツアコンもボランティアガイドによっていたことも特徴と言える。

 まずは、都営地下鉄新宿線森下駅に14:00に集合である。駅の改札を出ると、人のかたまりがあり、その中央に「観光舟運の社会実験」と書いた幟が立っている。25人くらいの参加者であったか、A班とB班の2つの班に分けて出発である。東京の幹線道路の歩道はそんなに広くないので、班を分けるのは賢明である。ご案内は、江東区観光ボランティアガイドの方である。

 先ず訪れたのは、「深川神明宮」深川の総鎮守で、祭神は天照大神である。深川というと、富岡八幡宮を思い起こすが、深川神明宮が深川発祥の地だそうである。摂津の国から来た深川八郎右衛門が開拓して自宅に伊勢神宮の分霊をお祭りしたのが起こりとのこと。社殿は、戦争で焼けて今は鉄筋コンクリートである。

 夏祭りには12基の町神輿が揃い、勇壮な水掛祭が執り行われるとのこと。境内にはその神輿倉が並んでおり、シャッターには神輿のイラストが施してある。


写真 深川神明宮


写真 深川神明宮神輿倉

 深川神明宮を出て、江東区内のほぼ東西南北の坊条に整備された区画道路を西に向かう。この一帯は関東大震災で焼け、震災復興区画整理が行われている。11月末であり日もだいぶ低い。沿道の建物を見ると、コンクリート打ちっ放しの建物が何棟か並んでいる。デザインもシンプルできれいであるとともに施工もきれいで打ちっ放しの良さが出ている。同じ建築家が担当したものかと興味をそそられた。平日の午後、道路にはほとんど人通りもなく、車も走っていない。


写真 コンクリート打ちっ放しの建物群

 その区画道路が隅田川にぶつかるところに、「芭蕉記念館」が建っている。この施設の南約200mのところに芭蕉稲荷があって、ここが芭蕉庵の旧跡で、観光客が来るにはあまりに狭いことから整備されたとのこと。

 鉄筋コンクリートの建物脇に小さな鏑木門が建っており、ここがメインの入口である。入口を入ると左側の南側隣地との境界部分幅約10m程度の部分が庭園になっており、築山状に土が盛られ、小さな池や流れも整備され、その築山の頂上に向かって茶室の露地状に道が伸びている。その道すがら、いくつか芭蕉の句が掲示されている。


写真 深川芭蕉記念館


写真 「草の戸も住み替わる代ぞひなの家」句碑

 露地を上り詰めると芭蕉庵のミニチュアがあり、その中に芭蕉さんが鎮座している。そこまでするかとは思うが、これも一つのサービスと言えなくもない・・・。


写真 芭蕉さん

 
写真左 築山の頂上の芭蕉庵     写真右 芭蕉記念館隅田川口

 芭蕉記念館のミニ庭園を抜けて裏側の隅田川に出る。本当に裏口という作りである。隅田川の堤防へは階段を登り、登ったところにさらに人の背丈ほどの塀が立っている。このてっぺんが伊勢湾台風の時の高潮に耐えうる高さだったかな。その切り立った塀に金色?黄土色?の三角形の銅板が並べられている。これは、奥の細道を書き込んだものらしい。以前は清澄通りの海辺橋にかかっていたものらしい。作者のこだわりは、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山形の立石寺から岩を取ってきて、この銅板の立石寺部分に貼り付けたとのこと・・・。


写真 堤防上の奥の細道ギャラリー


写真 隅田川の親水テラス

 堤防の反対側、隅田川側に降りると広い親水テラスが整備され、切り立った堤防の壁(ゆえにカミソリ堤防と言われた)沿いには植栽が施されて、伸びやかな空間が拡がった。堤防の内側(隅田川側)と外側では景色が一変する。この親水テラスにも芭蕉の句碑が所々に整備されている。

 隅田川では高校生とおぼしき集団が大きなボート?(かなり大きい)を大勢で漕いでいる。40年前は、隅田川は汚く、臭くてとてもボートなど漕げる環境ではなかった。

 しばらく親水テラスを南下し、再び堤防の外側にもどる。ここにも竹垣門の向こうに堤防沿いに登る築山がある。「江東区芭蕉庵史跡展望庭園」である。


写真 江東区芭蕉庵史跡展望庭園入口

 この階段が、かなりごつごつしていて、一件風情があるが、かなり登りにくい。こりゃあヒールを履いた女性は登りづらいのではとも思うが、芭蕉を訪ねてヒールを履いた女性は来ないかとも思う。

 
写真左 親水テラスの句碑     写真右 かなりごつごつ

 ごつごつの階段を登った先には、隅田川と小名木川の合流点に向かった見晴らしのいい広場となっていた。その一番南の隅田川よりにまたまた芭蕉さんが鎮座していた。こちらはブロンズ風?で、何となく理解ができる。

 ガイド氏の話によると、このブロンズ風像は毎晩17:00に90度回転して、隅田川の方に向くのだそうである。この庭園の閉園時間は16:30であるから、その様子は庭園からは見ることはできない。
どうも、隅田川を行き交う水上バスや屋形船へのサービスで20:00までライトアップされているようだ。


写真 見晴らしの良い広場


写真 芭蕉さん

 芭蕉庵史跡展望庭園を出て東に向かう。すぐ東隣には古い民家に「そら庵」の貼り紙がしてある。ホームページで検索すると「イベントスペース&ブックカフェ」とある。芭蕉さんの弟子の「曾良」にちなんだものであろう。

 その先左手に前述の「芭蕉稲荷」がある。この地から大正6年(1917)の津波の被害があった時に、石像の蛙が出てきたそうで、それが芭蕉の愛好していた蛙の石像ではないかということで、ここが芭蕉庵の旧跡に比定されたようだ。その蛙は、再びどこかに消えて、その後、再び民家の金庫の中からできたという面妖な石像で、芭蕉記念館に飾ってあるそうだ。なお、深川の芭蕉庵は3回程度移っているらしい。


写真 そら庵


写真 芭蕉稲荷

 再びまち歩きはつづき萬年橋に至る。萬年橋は小名木川の隅田川口に架かる橋で、江戸期には富士山が見通せる景観が良く、北斎や広重などに良く描かれている。江戸期の萬年橋は、小名木川の舟運に帆掛け船が使われたため非常に高い太鼓橋であった。現在の構造部のアーチが往時を彷彿させるか。また、ここから見る清洲橋が最も美しいと言われ、清洲橋がドイツケルンの橋をモデルに造られていることから、「ケルンの眺め」と言われているようである。そのようなことから、萬年橋は地域のシンボル的存在になっているようだ。

 【怪しい?街なか探検記02  つづく】
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□01 隅田川水上バス社会実験に試乗1  

 猛暑が続く8月28日(土)の夕刻、某NPOの研究会の暑気払いで浅草の対岸、墨田区役所の足下の緩傾斜堤防(スーパー堤防)を訪れた。水上バスの観光乗船場として、墨田区役所下の防災船着場を使う社会実験で水上バスに只で乗れ、広場ではビアガーデンが開かれていると言うことでのこのこやってきたのである。

 当日は、浅草でサンバカーニバルが行われており、浅草はものすごい人と音の洪水が押し寄せていた。その音と暑い日差しから逃げるように吾妻橋を渡って、リバーピア吾妻橋(アサヒビール・UR住宅・墨田区役所の開発地区:旧アサヒビール工場跡地)に入ると、こちらもズンジャカと賑やかである。


写真 サンバカーニバルの雷門前の通り

 吾妻橋から見ると、普段は素っ気ない緩傾斜堤防のテラス部分(最下段)にパラソルとテーブルがおかれ、川面を渡る風に吹かれる人がいる。隅田川の景観に目障りな首都高速6号向島線の高架道路もこの夏の日差しの時ばかりは、ありがたい日影を落としてくれている。「吾妻橋フェスト」と書かれているアーチ(足場用の鉄パイプを組んで設置。もう少し粋にできないか。)をくぐると、再開発前のアサヒビール工場とビアホールの写真が植栽に展示してある。その当時の、ワイシャツ・ネクタイ姿のサラリーマンが、ビアホールへと急ぐ姿が思い起こされる。(私は浅草生まれである)


写真 吾妻橋フェストのアーチ

 墨田区役所前のうるおい広場(この企画でここがうるおい広場であると初めて知った)も、普段は何もない広場であるが、この時ばかりはキッチンカーが数台入り、テントにテーブルなどが設置され、賑やかな雰囲気となっている。(若干配置に問題があり、広場をうまく使っていないようではあるが)せっかくのロケーションである。普段から観光のみならず、区民の憩いの場としてこうした工夫をすべきではないか。ドイツの小都市では、広場にテーブルと椅子は必ずと言っていいほどおいてあったような気がする。


写真 うるおい広場の賑わい

 あまりの暑さに、早速アサヒビールのテントに生ビールを購入に行く。プラカップ1杯500円!ちと高いような気がするが、のどの渇きが躊躇なく買わせる。またまた、ドイツ(1度しか、しかも視察でしか行ったことがないが)では、地ビールが非常に手頃な値段で飲めたことが思い出される。アサヒビールの足下なのであるから、もう少しリーズナブルに提供してもと思う。


写真 1杯500円

 さて、本題の水上バス社会実験であるが、墨田区役所の足下には防災船着場が設置されている。これを、観光用にも活用できないかというのが今回の目的で、墨田区役所が主催し東京都の外郭団体「東京都公園協会水辺事業部」が運営する「東京水辺ライン」が水上バスを運行する。緩傾斜堤防の無料乗船券受付には長蛇の列ができている。無料で水上遊覧ができるということで、人気があるようだ。我々は、事前申込みを済ましており列には並ばなくてよい。我々が乗船するのは、吾妻橋~桜橋~両国橋~吾妻橋の無料「隅田川水上バスでちょいとクルーズ」コースである。
定時の17:00に乗船が開始され、乗船口から一列になって停泊バースに降り、定員140名(座席54席)の船に乗り込む。このバースを商用に使うとすれば、雨・日除けの屋根が必要であろう。また、出港までの待合がないのも問題か。


写真 吾妻橋フェストステージ


写真 東京水辺ライン水上バスと防災船着場

 とりあえず屋根の上のデッキに出る。船室の方は、この日差しと暑さから、エアコンも効いており満席だろう。デッキも既に手摺のところは満員状態である。汽笛一声、吾妻橋防災船着場を出港して船は反転し、隅田川の上流に向かう。早速建設中のスカイツリーが右手に見えてくる。東武鉄橋をくぐると、右手の親水テラス(堤防の下に張り出した部分)で楽団がズンジャカ演奏している。先ほどまで吾妻橋フェストのコンテストに出演していた楽団か?


写真 墨堤越しのスカイツリー

 言問橋をくぐり、右手に墨堤桜並木、その上に首都高速6号向島線、そしてスカイツリーが見える。川面を渡る風か、船が切る風か、頬に気持ちよい。メンバーの墨田区観光協会職員の話によると、この隅田川沿いの桜は、墨田区内陸部の桜より開花が遅いとのことである。川で空気が冷やされるからではないかとのこと。

 桜橋手前で反転し、今度は隅田川を下っていく。今度は墨田区側の親水テラスが騒がしい。どうやら、サンバカーニバルで踊り足りないサンバチームが、ズンジャカやっている。その昔、浅草が興行のメッカであった頃、瓢箪池(現在の馬券売場辺り)を取り囲んで、ご贔屓タレント毎に分かれて歌を歌いあったという故事を思い起こす。水辺は、人を解放するのであろう。


写真 親水テラスのサンバチーム

 再び船は言問橋と東武鉄橋をくぐり吾妻橋に戻る。吾妻橋フェスト会場の人らが手を振っている。吾妻橋をくぐると、橋の構造物が目の前に迫ってくる。メンバーの土木系都市計画屋が、「昔の構造物は美しい。今の構造物は、コンピューターで設計して、工場で作って、現場で組み立てるだけで、面白くも何ともない。」と、つぶやいている。確かにと思ったが、話が盛り上がりすぎても困るので、コメントは差し替えさせていただいた。


写真 蔵前橋の構造部

 吾妻橋を過ぎ、駒形橋が迫ってくる。水上バスの女性スタッフが、橋桁に接近するのでデッキの客は頭を下げるようにと注意している。改めて前を見ると、確かに橋桁と非常に近い。船は橋桁と橋桁の間を通り抜ける。両サイドに乗っている客は頭をすくめる。思いの外速い速度で目の前を橋の構造物が過ぎていく。橋桁のすぐそばを通ることから、スピード感があるのだ。これはなかなかスリルがあって面白い。また、橋の構造物が立体的に過ぎていくのを見るのもまた美しい。実際ぶつかる危険性がある場合は、こんな悠長なことでは対応できないと思われる。

 そんな光景を見ながら、松江の堀川めぐりも、確か橋が低く、身体を寝かせないと通れなかったなあと思い出す。件の土木系都市計画屋もどこぞの地名を出していたが、忘れてしまった。


写真 厩橋をくぐる。なかなか臨場感がある

 メンバーと橋の名前の由来や隅田川11の橋梁のデザイン、セーヌ川の橋は構造部が橋の上に出ていない、隅田川花火は32年前に復活した、果ては親からどの橋のたもとから拾っていきたと言われたなど、ゆっくりと過ぎていく景色を見ていると、話はつきない。


写真 リバーピア吾妻橋とスカイツリー

 両国橋の遙か手前、蔵前のなまこ塀を模した親水テラス(もう少し何とかならなかったか)を見て舟は反転、再び上流へと登っていく。時刻は17:20過ぎ、東京湾へと向かう屋形船とすれ違う。

 しかし、驚くべきはこの船のツアーガイド氏である。舟が出発してから、ず~~~っと解説しっぱなしなのである。よくぞネタを仕入れたというか、声が嗄れないというか。流ちょうかつ名調子!少々うるさいという感じがしないでもない。


写真 テラスで夕涼みの一杯

 川風に吹かれていると、のどが渇いてくる。船に飲食サービスがあるといいなと思う。気持ちは、下船後の川端での生ビールに移っている。約25分ほどのツアーであったが、このチョイノリコースは十分観光に使えるのではないかと感じた。今回は吾妻橋を起終点とする周回コースであったが、両国とのシャトルコースは下町観光ツアーのコースに組み入れて使えるのではないか。


写真 黄昏の吾妻橋浅草方面

 さて、ミニクルーズも終了し、いよいよ本番の暑気払いである。とりあえず、吾妻橋フェストに混じり川端のテラス席に陣取り、ビールとおつまみで夕涼みである。辺りも夕暮れてきて、吾妻橋の構造部もライトアップされて美しい。この環境が、普段は使われていないのはいかにも惜しい。リーマンショックから立ち直れない我が国の経済、観光立国で立て直しを図るなら、身近な部分を再点検すれば生かせるものがいくらでもあるような気がする。


写真 ライトアップされた吾妻橋構造部

 さて、今宵はサンバでごった返す浅草はやめて、本所のモツでもつまみに怪しい都市計画屋メンバーと、ホッピーで盛り上がることしよう。


 【怪しい?街なか探検記01  おわり】




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