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■12連載コラム 世界をウオッチングする



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1~20までのコラムはこのページです

※以下、この項は新しい記事を上に掲載しています。※

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□ 世界をウオッチングする20
お金が回る、ストレスがたまらない
 ―ヘルシンキ(フインランド)

  日本から一番近いヨーロッパ、それがフインランド(7679㎞)である。この国は、ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性からたびたび勢力争いの舞台や戦場になってきた。

 人口(約530万人)や経済規模は小さいが一人当たりのGDPから豊かで自由な民主主義国として知られている。あのノキアのある国で、世界で最も競争的でありかつ市民は人生に満足している国の一つであるとも言われている。GDPに占める税収入比は43.9%であるが幸福関係の各評価は非常に高い。大学は全て国立で無料であり、図書館利用率も高く、スポーツもアイスホッケー等ウインタースポーツを中心に盛んである。

 高負担・高福祉のこの国で人々はどんな生活感をもっているのかヘルシンキの老人福祉施設で聞く機会があった。そこでの話は、「自分の親は他人に、他人の親を自分が仕事としてみる、親子の精神関係にストレスがたまらず、お金が回り社会全体が好循環になる。」という。

 日本でも歌手の森公美子が介護士から、「介護は他人で、近くで愛を」と教えられ実行していると聞いたことがある。

 ヘルシンキは一つの例であるがこの国全体の仕組みを示す好例といえそうである。





 【世界をウオッチングする20 おわり】

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□ 世界をウオッチングする19
ル・コルビュジエのノートルダム礼拝堂を見る―ロンシャン(フランス)

 ル・コルビュジエは戦後の専門化や分業化が急速に進んだ時期に午前中は絵画に没頭し、午後は建築に専念するという画家と建築家を兼合わせるというごく希な存在であったという。

 ロンシャン礼拝堂は1950~1955年にかけてのル・コルビュジエ晩期の珠玉作品でパリ東南東300㎞のロンシャン村中心から1㎞位の小高い丘の上に建っていた。

 白い塔に白い壁、キノコの様なうねった灰色の屋根が印象的であった。戦争で破壊された前建物の自然石のガレキも厚壁や基礎等に使われているという。

 壁の少しくぼんだアルコーブから内部に入ると、巨大な南側壁面にちりばめ開けられた様々な小さな開口部にはステンドグラスが奥深く嵌め見込まれ、一見抽象絵画の様であり、小窓の配置とガラスの配色で手造りの彫刻と言うに相応しい空間が創出されていた。

 礼拝堂は座席で約20席、立席を含めると200人位の空間であるが、特別な祝祭日には丘の斜面を利用し最大1200人位までの催事が営なまれるという。

 ル・コルビュジエは世界各地に作品を残しているがその中で最も芸術的な作品としてのロンシャン・ノートルダム礼拝堂は、現地までのアクセスは少し大変ではあるが、建築家やまちづくりプランナーに芸術とは何かを問う必見の作品と思われる。





 【世界をウオッチングする19 おわり】

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□ 世界をウオッチングする18
ホテルの前で母をしかる日本の息子
―クスコ(ペルー)

 南米のペルーにはナスカの地上絵、マチュピチ、チチカカ湖等神秘的な場所が多い。

 ナスカの地上絵は10人のりセスナ機で20分位パイロットの説明をうけながらの見学であるがはっきりしない絵もありアットいう間であった。今も日本の山形大学も参加し新しい発見が続いているという。

 空中都市マチュピチは標高2280Mの山頂にある。特に印象的であったことは街中に巡らされた水路に今も遠くの山からの水が流れていることであった。

 世界一高い3855Mにあるチチカカ湖(富士山は3776M)は葦を積み重ねて作った100位の浮き島があり300人以上の人達が魚を捕り、畑を作って自給自足の生活をしていた。浮き島は葦を常に足していかないと維持出来ないという。
これら3地区の中心はインカ帝国の都であったクスコ(3430M)で、信仰の
「太陽の宮殿」、軍事拠点の「サクサイワマン」等カミソリの刃も通らぬ石積み技術で造られインカ帝国の文明の凄さを感じた。同時にスペインに抹殺されたこの文明を愛おしく思った。

 このほか特記すべきものに、カラフルに染色され織られた手工業の織物がある。クスコにあるホテルの前で、現地のおばあちゃん達が早朝から夜遅くまで織った手編みのウールを気の毒と思える安い値段で売っていたが、値切ることを楽しむ観光客は更に値切ろうとしていた。その時日本の親子で来ていた大学生の息子が母親を「この人達にも生活がある。これ以上はやめるべきだ。」と叱った。この一言は新鮮でありさわやかに感じた。





 【世界をウオッチングする18 おわり】

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□ 世界をウオッチングする17
フランスで最も美しい村」は1つではなかった
―ゴルド村・プロバンス(フランス)

 南フランスの旅行で楽しみにしていた「フランスで最も美しい村」のゴルド村を訪ねた。

 丘の上にある16世紀の2つの修道院をとり囲み、軒を連ねる古い民家、風車や水車、農家の作小屋といった文化的遺産がそこにあった。ガケにへばりつくように広がる家々を遠方から見るとまるで宙に浮いているように見え、「天空の城」とも呼ばれているという。

 小さい村なのでゆっくり30分位かけ散策し素晴らしいものを見た満足感に浸っていると旅行ガイドから、フランスには他にも「フランスで最も美しい村」があると聞きびっくり、「最も美しい村」は一つではなかったのだ。

 帰国して調べてみると、1982年これに関する協会が出来て、人口2000人以下、歴史的建造物・自然遺産が2ヶ所以上ある等の条件をクリアーした村が認定されるとのことで現在150あるという。又、フランスに誘発されベルギ―、イタリア、カナダの他なんと日本でも2006年「日本で最も美しい村」連合がつくられ63の町村・地域が加盟しているというのだ。




 【世界をウオッチングする17 おわり】

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□ 世界をウオッチングする16
これは日本製ですよ―ベルゲン(ノルウェー)


 北欧ノルウェーの第2の都市人口28万人のベルゲンは13世紀にはノルウェーの首都でもあった。有名な美しいソグネフィヨルド、落差225mのショーズの滝、全木造で黒色のスターヴ教会(1180年建築)等訪れる玄関口でもある。

 市内には世界遺産のカラフルな壁と三角屋根の続くブリッゲン地区がある。冬の北欧特有のどんよりした暗い空、夏のぬけるような青い空両方にあいそうで、訪れた人には強い印象を与える木造建物群である。

 ここに近い海沿いにあるマーケットを訪ねると年配の人から、日本の北洋漁業が盛んの頃、中継地点として良くベルゲンが使われたことを教えられ日本との関係を知ることが出来た。又、この国の4つの目玉である、バイキング舟、船、木造の家、スターヴ教会に見られるような木の文化が日本と共通であることも分った。

 近くの交差点で信号待ちをしていたら若者の乗ったオートバイが前にとまり、「これは日本製ですよ。」と指をさし笑顔を見せながら立ち去っていった。

 この都市ベルゲンとは時が変わっても日本との関係は続くと思った。




 【世界をウオッチングする16 おわり】

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□ 世界をウオッチングする15
アメリカでの集住体のモデルの一つジョン・ハンコック・センターを見る―シカゴ(アメリカ)


 アメリカ、シカゴのミシガン湖畔に近い繁華街ノースアベニューに、鉄骨構造むき出しの100建てのジョン・ハンコック・センターが建っている。

 この建物は46階から94階までを住宅とし750世帯約2500人の居住者で、専用の室内温水プール(10×25m)、スーパーマーケット、商店街他日常の生活施設を揃えたいわば住宅地の空中立体化を具現している。

 コルビュジエの「住居の統一体」、「住居の単位」の具体案のフランス、マルセイユのユニテ(1952)から17年後のこのビルは資本主義が進んだアメリカ版ユニテとして興味深かった。

 現地で聞いた話では建物のコンセプトは一つの街を一つの建物内で具現化することであり下階にオフィスを抱え職住近接も狙っていたという。しかしそれは数パーセントしかなく、ショッピングもダウンタウンまで出掛ける人が多いと聞いた。

 これとは別に超高層住宅ということで現地で耳にした印象的なことを列記すると、ここの住宅の最大の目玉は隣接するミシガン湖の美しい湖岸線の眺望で、価格が高い上層階から売れて行ったとの事であった。又、ミシガン湖から吹き付ける風の影響で「ゆれ」で便器の水封がこぼれることがあるが特にこれによる転出者はないという。

 この頃日本でもURで超高層住宅の検討を始めたが、「ゆれ」については日本独自の性能基準を持つべきだということで実証実験を始めたことを覚えている。




 【世界をウオッチングする15 おわり】

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□ 世界をウオッチングする14
建築的装飾が街並み景観を引き立てる事例に会う―ロンダ(スペイン)


 URで設計を担当していた頃、設計にも色々な分野があるが建物設計でいつも気にしていたものにバルコニーのデザインがあった。

 ヨーロッパの街を歩いていると屋根と壁とバルコニーのデザインが街並み景観に圧倒的に影響を与えていることにお気づきの方も多いと思う。

 以前アメリカで大手の設計事務所の所長から、集合住宅ではバルコニーはコストが高いので極力作らないという話を聞いたことがあるが、日本では必須の部位でありいつも気にしているテーマでもあった。そうした中、仕事を離れた異分野の方との雑談中、スペインのロンダにバルコニーが美しくてホッとする街並みがあると聞き訪ねることにした。

 ロンダは険しい絶壁の上に広がる峡谷の街でタボ峡谷によりぷっつりと二つに断ち切られた街であった。鉄道駅がある新市街とイスラムの面影を残す旧市街がありこれを結ぶ世界遺産の18世紀に造られたヌエボ橋(高さ100m以上)もある。

 この街の家々の建築的特徴である鍛鉄細工のバルコニーはスペインの中でも特に知られており、ネピス通りは特に見事なもので、確かに街並み景観に影響を与えていた。

 建築的装飾が街並み景観に如何に影響を及ぼすかを確認出来たのである。




 【世界をウオッチングする14 おわり】

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□ 世界をウオッチングする13
街づくり(活性化)の起爆力「グラン・プロジェ」に学ぶ―パリ(フランス)


 1992年9月フランスのパリで第12回の日仏建築会議が開かれ日本側代表団の一員として参加し、19世紀後半のオスマンによるパリ大改造以来という「グラン・プロジェ」の全内容を現地で見ることが出来た。

 「グラン・プロジェ」は、フランス革命200年を記念する大規模な都市再開発と文化施設の新築改造によるパリ大改造計画として打ち出され、建築マニアのミッテラン大統領の采配の下で停滞するヨーロッパからいち早く蘇らせようと1985年から行われた。

 デファンス地区の施設、オルセー美術館、ポンピドウーセンター等9つのプロジェクトが選出され、各プロジェクトの設計者は国際コンペにより決められ、日本からは丹下健三(グラン・テクラン設計)、黒川紀章(パシッフィク・タワー設計)が選ばれた。9つの中で特に話題になったものはルーブル美術館の中央入口として設計されたガラスのピラッミド(香港生まれのレオ・ミン・ペイ設計)でご覧になられた方も多いと思う。
都市の活性化にインパクトを与えるこのやり方はその後、東京・ロンドン・香港・バルセロナ等世界中に伝播した。最近の東京丸の内エリアの都市整備もその一つだという。
 都市や街を活性化するモーメントづくりにはいろいろな方法があるものである。



 【世界をウオッチングする13 おわり】

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□ 世界をウオッチングする12
巨大な建築物は町を大味にする―ブカレスト(ルーマニア)


 ブカレストは20世紀の初頭には“バルカンの小パリ”と称されるほど美しい街並みを誇っていたが、一党独裁を続けた共産党の手により、古い教会や歴史的な建造物は破壊され、現在その面影をとどめているのは、旧市街のごく一部と凱旋門に続く通り沿いのみという。中欧の中で唯一のラテン民族の血を引く民族で陽気で明るく、美人が多い印象を受けた。

 1989年12月、当時の独裁者チャウシェスクが妻と共に公開処刑に処された。彼はルーマニアを恐怖のどん底に落とし、今に続く貧困の爪痕を残した張本人であった。彼は北朝鮮や中国を公式訪問してから「個人崇拝」を取り入れ、野望の象徴「国民の館」を作り始めた。

 その屋内の面積はアメリカ国防省ペンタゴンに次ぐ規模で、地上9階、地下6階、すべての建材、装飾品はルーマニア全土から集め、地下最下層には核シェルター、ヘリコプターが可動式の屋根から直接飛び発てる大ホールまであるという。独裁者の犠牲になった国民は本当に気の毒だ。しかし今「国民の館」は観光資源になり大勢の観光客が押し寄せている。

 この館のほか共産圏の国の巨大建築物のうち実際に目にした、モスクワ大学とワルシャワ文化科学宮殿の高さと形に度肝を抜かれた。そして中国の天安門広場の周辺に建つ人民大会堂等政府系の建物の大きさにも。またTVで見る限りだが北朝鮮の建物も。共産圏の建物は何故巨大なのか?冷戦時代の名残であると聞くが、巨大な建築物は町を大味にする。



 【世界をウオッチングする12 おわり】

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□ 世界をウオッチングする11
特異な市営住宅―ウイーン(オーストリア)


 音楽の都として知られているウイーン(人口187万人)は中世から20世紀初頭までハプスブルグ家の帝都であった。そこには音楽、絵画、建築、文学などヨーロッパの文化が凝縮されている。現在、この町に特異な市営住宅があるので紹介したい。

 1960年、ウイーン市内の住宅不足解消策として世界遺産のシェーンブルン宮殿の一部を市営住宅として貸しているという。改装には色々制約があって、住み心地はイマイチで市民には人気がないそうだが、美しい庭を眺められる世界遺産に住めるとはとても羨ましい。

 もう一つはフンベルトバッサー・ハウスという画家のデザインによって建てられた市営住宅がある。「植物と共に生きる家を作るのが夢だった」という作者のデザインを気に入った当時のウイーン市長の要望で建てられた。

 この集合住宅は、うねりのある床、土と草で覆われた屋根、室内から外に向かっての大樹の枝と、殆ど曲線で作られたカラフルなパズルのような外壁と共に目を見張る物ばかりである。平らな床は機械のためだけにあり、人間の床は大地のようにうねっていなければならない。廊下では子供たちが落書き出来、室内も自由に作り変えて良いという。これは家そのものが変化し成長していくことを願っているという作者の意図があった。

 さすが、芸術の都。日本では如何であろうか。



 【世界をウオッチングする11 おわり】

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□ 世界をウオッチングする10
丹下健三の初期作品にふれる―スコピエ(北マケドニア)


 学生の頃、建築家の丹下健三がスコピエの都市再生国際コンペで一位をとった時、日本中が歓喜に湧いたことを覚えている。北マケドニアの首都のこの街は紀元前4000年頃から人が住んでいた跡のある街であり、マザーテレサの生誕地としても知られてれている。

 スコピエは1963年大地震に襲われ80%が破壊されるという壊滅的な被害をうけた。震災後、国連主導でスコピエ中心部を範囲とする都市計画コンペが行われ丹下健三のプランが入賞した。丹下には都市計画を実現する初の機会であったが、現地で地元や他の国のチームの参加があり大幅な変更が加えられ、丹下の原案はスコピエ駅と駅西方のシテイゲートと呼ばれるオフィス街の高層ビルに一部面影を残す程度のものになったという。

 現地を訪れて見るとスコピエ駅は時計が地震発生時の5時17分で止まったままで博物館になっていた。そして丹下が設計した新スコピエ駅は、2階部分に駅を、1階にバスターミナルが作られていた。その他建築物は集合住宅を含め打ちっ放しコンクリートの荒々しい仕上げ(ブルータリズム建築)となっており、好き嫌いは別としてスコピエ市民はこれは日本の建築家により作られたということを強く意識しているという。

 ここはその後作られた日本を含む世界中の丹下作品の中で初期の作品という印象を受けた。



 【世界をウオッチングする10 おわり】

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□ 世界をウオッチングする09
北京で日本の「都市のライトアップ」について説明する―北京(中国)


 1994年日本と中国との政府間での第五回日中建築住宅会議が北京で行われ、日本側の一員として参加する機会を得た。当時は中国も都市の再開発について関心が高まっていた。

 この席で日本の都市の再開発や再生について、吾妻橋、大川端、恵比寿、光が丘等28プロジェクトを例に、開発の目的、マインド、形態、手法について具体的に説明し、中国側からは旧居住者の扱い他について質問がなされた。

 この発表で一番印象に残った事は横浜のポートサイドプロジェクトについて説明した際、都市デザインの一環として「街のライトアップをしている」という説明を映像で説明した時、中国側出席者46名(全体93名)の内、後方席の人達が投映されているスクリーンの前辺りに集まり熱心に見入っていたことであった。

 ヨコハマポートサイドプロジェクトは、みなとみらい21地区の東京寄りに隣接する横浜駅から3分のエリアで、アメリカの建築家マイケル・グレイヴスを招聘し住宅市街地総合整備事業として整備され、共通認識のコンセプトに「アートデザイン」を掲げ、ライトアップもその一環であった。

 広い中国には1991年から全部で11回訪れたが、最初の頃は北京や上海の大都市の中心部でもモノトーンの景観であったが、特に2008年の北京オリンピックの数年前位から中国の街がきれいなりライトアップも進んだ。

 日中会議の当時の関係者からヨコハマポートサイドプロジェクトの「街のライトアップ」の説明は中国の街の美化にインパクトを与えたようだと聞き嬉しくなった。



 【世界をウオッチングする09 おわり】

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□ 世界をウオッチングする08
ル・コルビュジエのユニテ・タビタシオンから得たもの―マルセイユ(フランス)


 学生時代、神田神保町で「輝ける都市」の古本を見つけてから一度は実物を見たいという思いが続いていた。この本には、ル・コルビュジエが考える都市計画案が示されている。

 ユニテ・タビタシオンは、ル・コルビュジエの「住居の統一体」・「住居の単位」の具体案であり、フランスの中所得者向高層公営住宅であるという。マルセイユのユニテは作られた5件の内、1952年に最初に完成したものでユニテの代表作ともいわれている。

 念願叶い訪れたフランス第2の都市マルセイユ(人口約90万人)のサンシャルル駅から5㎞の所に一つのまちと捉えた南北軸の集合住宅が建っていた。建物は長さ165m幅24m高さ56mで現地のエレベーター表示で8階、日本的に考えると17階建で337戸1600人が住んいるという。現地ではル・コルビュジエの大地を人に開放するという1階の大ピロティ、芸術的とも思える水平連続窓とデザインされた立面それにカラフルなバルコニーが目についた。勿論、設計にはル・コルビュジエのモジュールが駆使されていた。

 建物の構成では、住居部分は3層で1セットを基本に両面採光のメゾネット方式を採用し、共用廊下は中廊下式となっていた。オフィスと共用部分は中間の3,4階にありカフェや売店、ホテル等があり、3階のホテルに隣接しているパン屋さんは、この住宅の当初からの住人が経営しているという。屋上はプールと保育園(閉鎖中?)があり共用施設や換気塔も大型船の甲板を想起させる楽しいデザインがなされていた。

 建物の仕上げは、ブルータリズムのコンクリート素地仕上げ(1955年竣工のロンシャン礼拝堂も同じであった)で、木製建具と共に人間味・ぬくもりを感じるものとなっていた。

 この作品を直接見て高層集合住宅の元祖・プロトタイプの凄さに圧倒された思いがした。

 帰りに周辺住民から「夜間地上に人の気配が無い駐車場等では薬の売買も聞かれた。」との話を聞き当時担当したURの仕事で1階に人の気配のする住宅を配置した事を覚えている。



 【世界をウオッチングする08 おわり】

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□ 世界をウオッチングする07
高密度・複合型再開発のモデル―ロンドン・バービカン地区(イギリス)


 学生時代もURに籍を置いてからもロンドン・バービカンの開発計画は最も関心のあるプロジェクトの一つであり、これまで3回現地を訪ね、熟成していく街の姿を見てきた。

 バービカンは金融シテイの北側に位置し、敷地約16haの巨大街区で、歩車分離を徹底し、オフィスと文化施設、住宅をミックスさせた高密度・複合型再開発として行われた。

 バービカンへは地下鉄バービカン駅からこの地区の遠景を見ながらアプローチする。
集合住宅は40階建の超高層3棟を含む20棟で構成されており、総戸数2014戸、約4000人が住んでいる。建物はコンクリートの粗いブルータリズム仕上げになっている。

 住宅の所有形態は90%以上が125年の借地権が付いた分譲住宅であるという。

 住宅地区の中に入ると先ず各住戸のベランダの花の美しさに驚かされここに住んでみたいという気持ちになった。地上に目を移すと人工池や広場等豊かな空間が広がっており、中世からの教会や女学校等も併設されていた。又、これら分譲された住宅の不動産価格は上昇していると聞いた。

 一方、複合文化施設の「バービカン・センター」にはロンドン交響楽団の本拠地バービカンホールやシアター、3つの映画館、アートギャラリー、図書館、バーやレストラン等立体的に配置され常に人のにぎわいのある愛される空間になっていた。

 持続する街バービカンの再開発コンセプトは、この種の開発に多くのヒントを与え続けるであろう。



 【世界をウオッチングする07 おわり】

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□ 世界をウオッチングする06
走る豪華ホテル―ブルートレイン(南アフリカ)


 南アフリカを走る寝台列車“ブルートレイン”はギネスブックにも「世界一豪華な列車」として登録されている。ケープタウン~プレトリア間1600㎞を1泊2日、25時間かけて走っている。イギリス統治時代の19世紀に運行が始まり、車体はイギリス王室の色である。

 18両編成で乗客は84名に限定され、空間は非常にゆとりがあり、それが魅力である。

 1両に4部屋。客室はラグジュアリー(10㎡余で浴室付き)が2両、デラックス(8㎡でシャワーのみ)が9両。気動車、キッチンカー、食堂車、クラブカー各1両など。ベッドは各室壁面収納式で日中は座席として使用。食事や飲み物代、他は全て料金に含まれている。

 音もなくケープタウンを発車。揺れは殆どない。車窓からは広大な田園風景が目に入り、昼からワイン付きのフルコースを頂く。食後は雪を頂いた山並みを見ながらラウンジカーでコーヒーを頂いた。夕方、唯一の停車駅のマジェスフォンテンで下車して、開拓時代の偲ばせる建物や当時の生活用品展示の博物館で、ひと時のタイムスリップを楽しんだ。

 夕食はドレスアップして豪華なディナー。メニューはフランス料理そのものだったが、ダチョウのカルパッチョとワニのテールのソティが出て来てびっくりした。少しずつ口に入れると意外と美味で、しかも両方ともヘルシー。高級なワインと共に初めての珍しい食材に舌鼓を打った。この1泊2日は夢のような、一生に一度の滅多に味わえぬ体験だった。


 【世界をウオッチングする06 おわり】

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□ 世界をウオッチングする05
市民の誇り―プラハ・スメタナホール(チェコ)


 チェコの首都プラハは、第2次世界大戦では大規模な戦禍から逃れたので、中世の美しい街並みが残っていて、映画のセットの中にいるような錯覚を覚える町だ。

 ブルタヴァ川にかかるカレル橋はプラハのシンボルとなっている。他に世界一大きな城の一つとされるプラハ城や、聖ヴィート教会。色々な建築様式の建物や天文時計などが並ぶ旧市街広場など、観光には事欠かかない。

 「新世界」のドボルザークや「わが祖国」のスメタナが生まれた国だけあって、町の至る所でクラシック音楽が流れ、毎日のようにコンサートが開かれ、数多くのコンサートホールがある。中でも毎年スメタナの命日の5月12日に始まる音楽祭、“プラハの春”のメイン会場になる“スメタナホール”は共和国広場の市民会館の中にある。市内で最も大きなプラハを代表するコンサートホールで世界各国からこの催しをめがけて音楽ファンが集まり、チケットの入手は困難と言われる。

 この建物は1906年から建設が始まり、1912年に完成。アールヌーボー様式の魅惑的な外観で内部は様々な装飾が施され、特に天井画や光が入る丸いステンドグラスに圧倒される。建築そのものの素晴らしさと当時の一流芸術家たちが、総力をつぎ込んで仕上げたという装飾の数々に見とれてしまった。ぜひ一度訪れてほしい場所である。


 【世界をウオッチングする05 おわり】

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□ 世界をウオッチングする04
独立の悲願の達成―バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)


 フインランドの南、バルト海の東岸に北からエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国がある。この国々は深い森、清らかな湖などの自然が広がり、それぞれの首都のタリン、リガ、ヴィリニュスの旧市街は中世の香りを色濃く残していて、3都市とも世界遺産に登録されている。日本人の杉原千畝がリトアニアでユダヤ人を助けるために、日本通過のビザを発給した事は当地では有名な話である。

 近代までの三国の歴史や文化は違っていたが、地理的環境から周辺の大国からの侵略や支配を受け、18世紀には帝政ロシアに併合された後、ロシア革命で一旦独立をしたが、第2次大戦中はナチスドイツ、終戦後はソ連に併合された暗い歴史を持っている。

 1989年旧ソ連(ロシア)からの独立を求め、バルト三国の人々は手と手をつなぎ、タリンの歌の原(5年に1度の歌と踊りの国民的祭典の会場)~リガ~ヴィリニュスの大聖堂を結ぶ“人間の輪”を600㎞、200万人で連帯して作り、世界に訴えた話は有名で1990年~1991年に再独立。2004年にはEUにも加盟した。

 バルト三国の各地を見て回り、現地の人達の話を聞くと、皆、祖国をとても愛し、国旗に誇りを持っていて、特にロシアへの怨念はすごいと感じた。島国の日本人の感覚では計り知れないが、その気持ちは理解出来るような気がした。


 【世界をウオッチングする04 おわり】

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□ 世界をウオッチングする03
視点を変えた発想の転換―ジブラルタル(イギリス領)


 イベリア半島の南端近くに位置するジブラルタル海峡の、突き出た半島にイギリス領ジブラルタルがあり、スペインとイギリスの間に300年に及ぶ領有権争いが続いている。

 ここは元々スペイン領であったが、スペインの王位継承戦の際イギリスに占領され、スペインの返還要求にも関わらずイギリスは手放さない。一方対岸のモロッコのセウタはモロッコの要求にも関わらず、スペインの統治が続いている。どこでも領土問題は複雑だ。

 ジブラルダル海峡のアフリカとの間は21㎞、水深約43mあり、第2次大戦中の連合軍は、ドイツ軍の潜水艦の大西洋と地中海の往来を探知するため、目視と船のスクリュウの出す音波で捉えようと試みたが、海峡の水の流れが温度差によって海面と海底の流れが逆になることを利用して、ドイツの潜水艦は無動力で航行したので察知することは出来なかったという。

 大きな岩山(ターリク山、標高400m)の麓に広がる、面積僅か6.5平方㎞の小さな町の山の上の展望台からの眺めは素晴しく、青い海と穏やかな街並みは観光地のようだったが、現役の大砲が鎮座していたのには驚いた。

 また空港はスペインとの国境近くにあり、滑走路が一般道路を横切るので航空機の発着時には交通止めになるという面白い光景を目にした。

 街つくりでも時には視点を変えた発想の転換が必要ではないだろうか。


 【世界をウオッチングする03 おわり】

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□ 世界をウオッチングする02
生きのびる工夫―聖カテリーナ修道院 (エジプト)


 エジプトのシナイ半島に、旧約聖書の出エジプト記に書かれているモーゼが十戒を授かったという、シナイ山(2285m)がある。その山麓にキリスト教の一派である正教会の修道院としては世界最古で、現在もその機能を果たしているカテリーナ修道院が建っている。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるこのカテリーナ修道院は2002年に各宗教の聖地としての価値などを評価されて世界遺産に登録された。

 修道院は要塞のような頑丈で高い石塀(15m)に囲まれていて、塀の中にはモーゼが神から啓示を受けた時に燃えていた“燃える柴”。ここだけに生育する不思議な柴は今も青々と茂っていた。教会内には歴史を感じさせる古いイコンが壁に残っており、この修道院の名前にもなった聖人カテリーナが埋葬された大理石の棺が中央に置かれていた。

 ローマ皇帝コンスタンチヌス(初めてキリスト教を公認した)の母エレナの指示でAD330年に“燃える柴”の場所に小さな礼拝所を建てたのが始まりで、東ローマ帝国が衰退後エジプトはイスラム勢力の領土となったが、イスラム教の重要な預言者であるモーゼに因んだこの修道院にモスクも作られ、長年に亘るイスラム教支配下でもキリスト教の修道院が生き延びることが出来た。

 街や都市にはサスティナビリテイ(持続できること)が求められるが、その意味でこのカテリーナ修道院は一つのヒントをくれるかも知れない。


 【世界をウオッチングする02 おわり】

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□世界をウオッチングする01
聖山からの水路の水で街ごと洗う―麗江(中国)


 中国、雲南省の処女峰、氷河と万年雪を頂く玉龍雪山(標高5596m)の麓の標高2,400mに位置する麗江市は、宋代の末期に少数民族のナシ族によって建設された王都。南方シルクロードがここを通り、“茶馬古道”の要所だった。麗江古城は四方街を中心に瓦葺の家が軒を連ね、石畳が残る旧市街はナシ族特有のトンパ文字と共に1997年世界遺産に登録されている。

 玉龍雪山(ナシ族が信仰するトンパ教の聖地と言われる)から流れる豊富な雪解け水は、人々が暮らす麗江の街へ清らかな水を送り続け、四方街を潤している。家々の周りに水路を巡らしており、この水の流れに沿って路地を歩いていると、自然に街の中心の広場にたどり着くため、決して迷子にならない。そして街を掃除するときは一斉にこの水を流して綺麗にするとの事。とてもよく考えられている。

 大自然に恵まれ少数民族が住み、伝統文化に培われた麗江は、永久保存したい街の一つであり、街つくりのプランナー、デザイナー共にヒントになる物が実際に見られる街でもある。


 【世界をウオッチングする01 おわり】

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